Friday, November 20, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」一匹の羊(うるちゃんの詩)

【「小羊うるちゃん物語Ⅱ」の登場人物】
   うるちゃん      : 主人公
   なごみちゃん     : 長女
   サイエン君      : 長男
   はづきさん      : 友人
   マーサさん      : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
   A牧師        : A教会の牧師
   Kさん      : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
   K宣教師(夫人)  : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師(夫人)
   W宣教師       : W教会を開拓した宣教師
   B主任牧師(夫人): B教会の主任牧師(夫人)
   B0牧師       : B教会のB主任牧師の父親である先代牧師
   B1牧師       : B教会の主任牧師の長男である牧師
   B2伝道師      : B教会の主任牧師の次男
   M牧師        : B教会の女性牧師
   Eさん        : B教会の信徒の女性
   Dチャプレン     : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン
   Mさん      : トラクト団体で一緒だったクリスチャン女性
   Uさん      : マーサさんの友人の求道中の女性
   C牧師       : C教会の牧師

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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 1999年4月12日(月)、早朝、うるちゃんの心に、語られたたとえ話。
B2伝道師に報告をした日から約半年たっていたその日は、最後にお世話になったB教会の人たちに挨拶をするために、信徒宅での家庭集会に来ていたB2伝道師を訪ねることにしていた日でした。
主に励ましをいただいて、できました。うるちゃんは無事挨拶できたのでした。


一匹の羊


baby-uru 一匹の赤ん坊の迷子の羊が
      まきばを求めてさまよっていた。
    歩き出してすぐに、小さなまきばを見つけた。
 一匹の羊はそこにはいって
        他の羊たちの仲間になろうとした。
          いっしょうけんめいに
               仲間になろうとした。
 ある大きなめすの羊がやって来て
      そのような行為をとがめた。


uru     なんで仲間になれないんだろう?
  悩む一匹の羊に
     やぎが来て言った。
        こっちへおいでよ。
        あんたは私たちの仲間よ。
  悩んでいた一匹の羊は
      喜んでついて行った。


wolf はじめのうちは
    新しく来た羊にやぎたちは
         やさしく接した…
 そのうち、やぎは、冷たい心をのぞかせたが、
    仲間になったと思いこんでいる一匹の羊は
          気のせいかと耐えた。
 ある日、狼が群れをおそった。
    慣れているやぎたちは、一匹の羊をおいて逃げた。 

         助けを求める一匹の羊に目もくれず… 


kizu 一匹の羊は、大きな傷をおったが、
      なんとかよろよろ逃げることができた。
 
         力つきたとき、
      やさしい羊飼いの姿を見た。
 目がさめたとき、小さな羊の群れの中にいた。
   その中の数匹は、よく世話をしてくれた。

 2年がすぎ、
  成長した一匹の羊は、
   世話をし、介抱してくれた羊たちに
      なんとか恩返しをしたいと願っていた。


iji一匹の羊が来る前より、
     その群れは大きな困難の中にいた。
 一匹の羊には、生まれた時、
     お父さんのくれた大切なものがあった。
 やぎのところにいたときにはとても役にたったもので、
        それがあれば、助けられるものだった。
   しかし、その群れの長が、それをあざけり、
           いらないといっていたので
         他の羊たちもそれに従っていた。
   それをもらうと
         わるいことになると
             信じこんでいた。


hitsujikai 父がくれた大切なもの
   それは、他の羊に分けてもなくなることのない
         すべての羊を助けることのできるもの。

   一匹の羊は、なんとかそれを渡したかった。
      一匹の羊にはともだちができた。
        ともだちの羊にそれをわたすと
              とても喜んでくれた。
   2匹の羊は、若いおすの羊にも渡してみた。


そのおすの羊はそれをこわがり、おそれていたので、
                  長の羊に告げた。
    群れ全体にさわぎがおきて、
       一匹の羊は泣く泣く、その群れを去った。uru_c

 ともだちになった羊が、あとを追いかけてきた。
      一匹の羊のもっていたものが
         よいものだと知っていて、
           群れにいられなくなったのだった。


naka2匹になった羊を
    優しい羊飼いが
        引いて
        羊の安らげるまきばへと
                みちびいた


どうかみなさん。あなたの神、主に心を留め、
  このようなことを繰り返さないようにしてください…
(Ⅱサムエル 14:11)

絵本版「うるちゃんの詩」

 

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
  ☆ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)
  ☆ カウンセラーの聖会に行った日本基督教団H教会(Ⅱpart 1-6)
  ☆ 韓国人牧師が開拓していたC教会(Ⅱpart 1-6)



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Wednesday, October 21, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-6 得られなかった関係

【前回までの登場人物】
   うるちゃん      : 主人公
   なごみちゃん     : 長女
   サイエン君      : 長男
   はづきさん      : 友人
   マーサさん      : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
   A牧師        : A教会の牧師
   Kさん      : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
   K宣教師(夫人)  : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師(夫人)
   W宣教師       : W教会を開拓した宣教師
   B主任牧師(夫人): B教会の主任牧師(夫人)
   B0牧師       : B教会のB主任牧師の父親である先代牧師
   B1牧師       : B教会の主任牧師の長男である牧師
   B2伝道師      : B教会の主任牧師の次男
   M牧師        : B教会の女性牧師
   Eさん        : B教会の信徒の女性
   Dチャプレン     : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン
   Mさん      : トラクト団体で一緒だったクリスチャン女性
   Uさん      : マーサさんの友人の求道中の女性

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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  マーサさんが異言を伴う聖霊を受けた20日後の1998年10月25日(日)、うるちゃんはB教会に異言についての報告をしました。異言は大嫌いだと言っている主任牧師のいるB教会に報告するのはためらわれたのですが、だまっていることに平安がありませんでした。特に信仰の兄弟間では誠実でありたいと思っていました。そんな時、隣の市の日本基督教団H教会でカウンセリングの聖会があることを知り、マーサさんを含む友人3人で出向きました。1998年10月18日(日)のことでした。改革派のカウンセラーの講師Iさんを招いて行われた「よりよい人間関係をつくるために」という主題で行われた集会でした。その時のメッセージで「どんな集団でも、信頼関係やよい交わりを持つためには、報告・連絡・相談が大切です。」と言われたのです。

その時のうるちゃんが記録したメモには、「人間関係は神から与えられたもので、人を変えることは人にはできない。健康な人格が傷つけられることがあるが、愛される時、愛することもできる。言い換えれば、大切に思われていると実感できる時に愛を感じることができる。完全な愛は神によってのみで、神から受けると人に与えられる。愛がわかれば人は嫌々ではなくて、生き生きとした行動になる。愛は、相手がいると自覚できるもので、その相手は自分と感情対応している。愛は、伝える方法にのっとって伝えることが大切。どちらかが我慢している時は、本当の平和はない。違いを認め合っている関係がよい。愛は相手を知ることから始まるので、どんな集団でも、信頼関係やよい交わりを持つためには、報告・連絡・相談が大切。」と記されています。

 教会は愛の根付く共同体なので、当然、「報告・連絡・相談」ができない教会というのは、キリストが主となっていないということになる!と思いました。そこで、うるちゃんはマーサさんと断食して祈り、結果を主に委ねて報告することにしました。報告をしようと決めた日に奉仕に来られたのは、日曜礼拝を担当していた次男のB2伝道師でした。

 その結果は、最悪とも言えるものとなりました。報告をした、それだけで大騒ぎでした。それから起こったことは、細かいところまで、以前の教会を出る時に起こったことの復習をしているかのようでした。人間は、自分の得た知識が強いと、属性の異なる人に対して、排除するための同じような行動を起こし、強い者に同調するものなのだと知りました。うるちゃんは、教会には神の愛が何より大切なのだと痛感しました。配置されている人たち、人が語る言葉、牧師の行動までもが同じだったからです。ただ違っていたのは一度経験済みだったので冷静でいられたことと、聖霊を熟知していない教派のため初めから多少覚悟していたことと、マーサさんという主を愛する姉妹が一緒だったということでした。以前の経験が役にたったわけでした。
                                                 ※ 同調心理について

 その流れを見て、うるちゃんは、われに返った思いがしたのです。私は、ここで何をしているのだろう。どちらも結局同じじゃないか。」 その時、A教会に来た預言者によって三回にわたって、うるちゃんたち夫婦に与えられた預言が頭をよぎったのです。その中で、「…。あなたたち夫婦は、教会の中心となり働く…」ということが語られていたことを思い出しました(「小羊うるちゃん物語part 5-6 預言?」の※3)。どうせ同じなら、A教会の方が良いではないか(母教会であるため)。証明できていない預言をうるちゃんは信じ切っていたわけではなかったのですが、「あの時の預言(?)は本当で、ひょっとしてA教会のことだったのだろうか。戻るのだろうか。」という思いがうるちゃんの心によぎったのです。思わず、友人だったはづきさんに電話していました。電話した結果は、友人だったはづきさんとA教会のA牧師の心を改めて知らされただけとなりました。和解を申し出たのですが、互いの思いは違っていました。また一歩、立ち直れた心地がしました。
どちらかといえば、ペンテコステ系のA教会と、文語聖書を使い古き伝統にこだわり続けるB教会。180度違うような教会なのに、起こったことは同じでした。

 従順が大事なのは、うるちゃんも学ばされてきたことです。しかし、A教会やB教会にあったのは、軍隊的な盲従でした。それを牧師は強いていました(B主任牧師は、マーサさんを説得しようと「あなたも変わったねぇ。女の人は教会では黙していないといけない。信徒で僕に意見する人は誰もいない。牧師が右と言えば、信徒は左だと思っても右だというものだ。」と告げていました※1。)聖書に反すること、主がうるちゃんに語ってくださったことを曲げたくはありませんでした。イエスさまを選ぶか、自分にイエスさまを教えてくれ長年信頼してきた牧師を選ぶか、そういう場面に遭遇した信仰者のつらさは、通った者にしかわからないでしょう。身を切る程に悲しいのです。指導者に従順に従えなくなった時、不要な分裂を避け主の安息にとどまりたいと思っていたうるちゃんには、指導者を変える道しか残っていませんでした。B教会を通り抜けた後には、日本の教会に対しての失望が残りました。

 その後、B教会へは、喜びをいただいて、一度礼拝に出席しました。1998年11月1日(日)の礼拝を最後に、さらなる混乱を避けためか、不要な傷を負わないためか、B教会へは主によって行くことを止められました。礼拝の場を絶たれ、途方に暮れているうるちゃんに、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。決してあなたを見捨てず、また離れない。どこにいても、礼拝できる。夫婦の一致を求めなさい。」と語られました。それで、うるちゃんは、お世話になったB教会に挨拶をして、B教会を去ることにしました(実際に、挨拶することができたのは、B2伝道師とM姉にでしたが)。マーサさんは、異言を語らないことを誓約させられていた教会員のEさん(「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-4 転籍」)と友達でもあり、B主任牧師とそれなりに交流があったので、非難を受けているうるがいなくなれば、二人が協力すれば耳を傾ける時が来るかもしれない、B教会を去れたのはそう思ってのことでもありました。そこで、主に信頼して家で、しばらく家族のみで礼拝することにしたのです。幸い、賛美の環境は整えられていました。三ヶ月が過ぎ、望んでも一緒に祈ることをしなかった夫が、自然に一緒に祈れていることに気付きました。感謝でした。そのころ、マーサさんは、マーサさんで努力をしていましたが、「思い上がるな。」「同じ信徒同士でどうしてこうも違うのか。」「信徒同士は、交わりをもたないのがよい。」とだんだん強力に語られるようになっていく礼拝メッセージが聞けなくなり、また、B主任牧師が周囲に電話で警戒のお触れを出したことで、うるちゃんに対する陰口とののしりの言葉がうずまく様子に、教会にいることの意味がわからなくなり、B教会に行くのをやめられてしまわれました。

 日本の教会に失望したうるちゃんは、気分転換を求めて、ふたたび仕事や趣味を手掛け没頭しました。暇な日がないくらい忙しい日々を過ごしました。教会が与えられたら、頼み込んでも献身したいと思いました。
そんな時、そういう片手間の気持ちでいる限り、教会は与えられないことを告げられました。すべてを3月でやめることにして身辺整理を行いました。すると、すぐにC教会へ導かれました。

 「賛美と祈りに満ちた教会。信仰の一致がある教会。牧師と良い交わりが持てる教会。できるなら、日本人ではなく外国人宣教師のところ。そして、向こうからうるの存在を望んでくださるところ。奉仕できるところ。」今度の教会への希望でした。A教会にいた頃から続けて時々行っていたあるトラクト団体のA姉がなに気なく口にした教会でした。足音を聞いて、戸を開け歓迎してくださったC牧師夫妻は、喜びと輝きに満ちた方に見えました。

 「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」 (詩篇 一篇)

 礼拝で読まれた詩篇は、第一篇でした。B教会を去る時、与えられていたみことばでした。

※1 当時うるちゃんが聴き取った内容の記録です。

【参考】コラム「聖書の訳」

 

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  【うるちゃんと教会】
  ★ カウンセラーの聖会に行った日本基督教団H教会(Ⅱpart 1-6)
  ★ 韓国人牧師が開拓していたC教会(Ⅱpart 1-6)
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
  ☆ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)



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Monday, October 19, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-番外編 へいわくんの父の死を通して

【前回までの登場人物】
   うるちゃん      : 主人公
   なごみちゃん     : 長女
   サイエン君      : 長男
   はづきさん      : 友人
   マーサさん      : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
   A牧師        : A教会の牧師
   Kさん      : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
   K宣教師(夫人)  : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師(夫人)
   W宣教師       : W教会を開拓した宣教師
   B主任牧師(夫人): B教会の主任牧師(夫人)
   B0牧師       : B教会のB主任牧師の父親である先代牧師
   B1牧師       : B教会の主任牧師の長男である牧師
   B2伝道師      : B教会の主任牧師の次男
   M牧師        : B教会の女性牧師
   Eさん        : B教会の信徒の女性
   Dチャプレン     : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン
   Mさん      : トラクト団体で一緒だったクリスチャン女性
   Uさん      : マーサさんの友人の求道中の女性

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

※ 今回の物語には、一般のオーソドックスな多くの教会ではなされていない祈り方が記されていますが、聖書にも記されている祈り方です。寛容な視点でお読みください。

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  1995年10月10日(火)体育の日、へいわくんの父が天に召されました。夏、末期がんの診断がくだされてから、聖人の像やマリアを大事にしている昔からの流れのキリスト教徒であった父母の信仰是正に加えて、癌のいやしを祈りつづけていました。父母は2人暮らしで、近くに親類はいず、母の性格上、1人暮らしは無理だと思いました※補足 。祈り続けていると、「子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。…とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が…。」(マタイ 7:9-11 )の御言葉が与えられました。天の父が悪い結果をくださるはずはないと確信しました。容体は思わしくないのですが、父の癒しを信じていました。

 そんなある晩、床につくと、わけもなく心がざわつき、3匹(?)の悪霊と思われる幻が現れました。向かって右のは、小さくて、丸っこくて、異様に大きくぎらぎらした目でこちらをにらんでいるようでした。左は少し大きく、長くて、やはり大きな目でこちらをにらんでいました。真ん中は、奥の方にいて、姿ははっきりしませんでしたが、気配はしていました。まわりは、暗闇で、イエスの御名によって、去るように命じると、幻は消えました。そして、眠りにつきました。眠ってても熟睡できず、ときどき目が覚めるのです。朝、へいわくんの父母の夢で起こされました。すごく、祈りの必要を感じ、父母のための祈りを捧げました。父の病を知らされてから、うるちゃんはときどき、断続的なわけのわからない腹痛を感じていました。時には2~3日続いていました。幻が現れる晩も、腹痛が起こりだし朝まで続いていました。鈍い痛みなのですが、もしかして、父のために親身に祈ることができるように与えられているのかも…と思っていました。祈っていると、強くご聖霊の臨在を感じ、とめどなく、涙が出てきました。「主よ、この腹痛が、父の痛みであり、いやしてくださるのでしたら、このうるの腹痛を取り去ってください。」と祈ったときのことです。急に体に不思議な働きかけがあり、腹痛は治まりました。何が起こったのか、自分でもわかりませんでしたが、途端にイエスさまの愛に満たされ、平安に包まれました。この日以来、腹痛は起こらなくなりました。
                                                 ※ 下線部についてのコメント

 そのような時、父の危篤の知らせを受け、大阪の父母のもとへ向かいました。ずっと祈っていましたが、いやされないのはなぜなのだろうと思ったとき、以前見た幻を思い出しました。その幻は偶像と関係しているような思いが与えられたので、確かめたところ、実家の祭壇に、3体の像があったのです(後で確認したところ、その時までのうるちゃんは知らなかったのですが、押し入れの中に向かって右にマリア像、左に首から上のイエス像、真ん中の奥には十字架のイエス像があり、仏教の、仏壇の代わりになっていました)※余談1。幻と同じ形状だったので、すぐに、そのための解放ととりなしの祈りを捧げました。神父さんが来ても心を開かなかった父が、へいわくんがイエス様のことについて聞いた時、「イエス様以外の神様は信じる気もないし、イエス様以外の所に行く気もない。」と語ったそうです(父は訳あって、教会から離れていた)。1週間後、へいわくんが一時帰宅するときの父の言葉は、「ごくろうさん。」だったそうです※余談2。それが、へいわくんが聞いた最期の父の言葉となりました。へいわくんが東京へ戻った翌朝、父は天に召されました。朝、痛み止めの注射を打つまで、苦しみもあまりなく、意識もはっきりしているまま、平安のもと天に召されたのでした。

 父が癒されなかったことで、うるちゃんが気落ちしていたところ、ある兄弟は、「天国に行ったのだから、いまはもう、がんからいやされているね」と、言ってくださいました。なぜ、うるが望むような肉のいやしは起こらなかったのか、主は全能なのだから、偶像を取り払えたはずなのに…、という思いもありましたが、この疑問に、主は葬儀後に礼拝に行った実家近くのW教会でのメッセージを通して答えてくださいました。主はロボットの人間を必要とされてはいない。偶像をこわしても人間が、偶像を持つのを望んでいるなら、意味がないと。確かに、今の段階では、父がいやされても、昔からの流れのキリスト教の信仰に戻っただけでしょう。昔からの流れのキリスト教の葬儀に出て、イエス様を信じているのに、目に見える像やマリヤのほうを大事にしている信者さんのための祈りの必要を感じました。マタイ 6:24 には、神とサタンと同時に仕えることはできないとあるからです(「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」)。また、イエスを信じていればどんなイエスでもよいというものではなく、人となってこの世に来られ、十字架にかかられた神であるイエスを信じているならば、罪の重みを知り、神の栄冠を得るために、罪と格闘しながら歩むものだと思いました。

 主は、うるちゃんが望んだようないやしではなかったけれども、父にとって、神の国にとって、最も良い方法をとられたのだと、信じることができます。   ハレルヤ!!

※余談1:3体の霊のような幻は、その後数年に渡る像にまつわる出来事によっても、祭壇の像との関係があることが明らかになっていったのでした。(神ではない霊の話は、焦点が神からそれていくので、割愛します)

※余談2:父が亡くなって初めての礼拝で、A牧師は、へいわくんとの握手のとき、「ごくろうさん」とだけ、言われたそうです。それは、父がへいわくんに最期にかけた言葉と同じ言葉で、たった一言でしたが、感動を覚えたそうです。

補足:父の死の数年後、母は上京せざるを得ない状況になり、20年間にわたって、へいわくん・うるちゃんが近くでサポートしていくことになったのでした。


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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
  ☆ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)



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Thursday, October 15, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-5 異言と解き明かし

  【前回までの登場人物】
      うるちゃん      : 主人公
      なごみちゃん     : 長女
      サイエン君      : 長男
      はづきさん      : 友人
      マーサさん      : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
      A牧師        : A教会の牧師
      Kさん      : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
      K宣教師(夫人)  : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師(夫人)
      W宣教師       : W教会を開拓した宣教師
      B主任牧師(夫人): B教会の主任牧師(夫人)
      B0牧師       : B教会のB主任牧師の父親である先代牧師
      B1牧師       : B教会の主任牧師の長男である牧師
      B2伝道師      : B教会の主任牧師の次男
      M牧師        : B教会の女性牧師
      Eさん        : B教会の信徒の女性
      Dチャプレン     : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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  B教会では、主任牧師の長男のB1牧師のメッセージは素晴らしかったのですが、そのB1牧師も1年を機に本教会に戻られました。B1牧師がなぜ、支部教会に来なくなったのかわかりませんが、後ほど幾人かから聞いた話では、この時すでに主任牧師は自分によく似た次男のB2伝道師を後継にしようと考えていたということでした。

 癒されたうるちゃんは、次第に飢え渇いてきました。B教会にいることの限界を感じ出していました。うるちゃんにとってイエス様のことをしていることが喜びであったからです。属している限りにおいて、所属の指導者に従順に従うつもりでした。「何もしないでただ祈れ。証しや伝道は自己満足になりやすい。祈るだけだ。祈れば自然に成っていく。」証しすることも、奉仕することも許されませんでした。次第に無気力になって、早くイエス様のもとに行きたいと思うばかりでした。傷は癒えたのですが、行ない(証しをすることなど)と霊的賜物の否定のため、だんだん無気力になっていったのです。消えたいと無気力でむなしい状態が半年程続いたので、趣味に目を向けてみました。だんだんと祈ることも心が入らず、形式的になっていきがちになりました。
                                                 ※ 下線部についてのコメント

 「これではいけない。」と思い、聖霊に満たされているクリスチャンたちとの祈りを求めて、導かれたままに(あるトラクト団体で一緒にボランティアをしていたバプテスト教会のMさんの紹介)、自転車で15分ほどのJ教会の早天祈祷会へ行きだしたのでした。1998年8月のことでした。ただただ元気を取り戻したいという思いでした。主は、うるちゃんの祈りたいという思いに応えてくださり、あらゆることでこの祈祷会の出席を支えてくださいました。8月~10月までの3か月間、毎日通い続けました。

 早朝のため、韓国のクリスチャンが数人と紹介してくれたMさんとの数名の祈祷会でしたが、3ヶ月間イエス様を見上げて祈りこむことができました。その間、自分に語られることの確信を得たいと、主に問い祈りました。この間、異言で祈り、みこころを求め、自分に与えられた語りかけが主からのものであるか、異言の解き明かしをも求めていました。そして、10月始めのことでした。あるはっきりとした確信が与えられたのは…。その日、うるちゃんと祈りの時を持ったマーサさんが聖霊に満たされたのです。ハレルヤ。(B主任牧師の許可をもらって、地域にいる信徒の祈り会を週に1回もつことにしていました。)日本語で祈り、マーサさんの友人で求道中のUさんのことを共に祈っていた時、聖霊様が強く働かれたのでした。人と一緒に祈るため、異言は声に出さず口の中だけにとどめていたのですが、聖霊に満たされているうるちゃんの手を取って、マーサさんはその手を自分の頭に持っていったのでした。その場で聖霊様はマーサさんをも異言を伴い満たしてくださったのです。

 うるちゃんは、与えられた思いのまま(マーサさんの恐れについての異言の解き明かしでした)を口に出していっただけでした。その場で、主はうるちゃんに語りかけの確信を与えてくださったのでした。解き明かしを口にした時に、マーサさんは異言を伴う満たしを受けたのでした。この異言とともに与えられた思いが異言の解き明かしでもあるとうるちゃんは思いました。うるちゃんの心への語りかけは異言とともにあることが多かったからです。1998年10月5日(月)のことでした。

 それから、毎日のようにマーサさんと共に祈る時をもちました。その頃のマーサさんは、友人で求道中のUさんを気にかけておられました。Uさんは、イエスさまを神と信じてはいましたが、うるちゃんがB教会に来た頃に未信者のまま父親を亡くされていました。祈るだけでいいという教えの中、癒されるのを信じていたUさんは、誰の手助けもなく、イエス様を伝えることもなく、悲しみの中、イエス様から離れかけているような言動がありました。ある日祈っていると、マーサさんが誰かの傷にイエス様の手がふれている幻を見たようでした。帰宅したうるちゃんは、百万人の福音のとある記事を見た時に、マーサさんの友人Uさんを思い出し、イエス様についての手紙とへいわくんの父の死の時(昔からの流れのキリスト教信者だったが、癒されずに天に召された)の証しを添えてUさんに渡しました(手紙には、誰が天に行き地に行くかは、イエス様にしかわからないこと、信じる者に最善をなされることなどを書きました)。その数日後、A教会を去る時にA牧師に渡した手紙が、悪霊がついていると言って読まれることなく、悪霊を追い出したと言われた経験を思い出し、Uさんに手紙と証しを渡したことで恐れがやってきました。すると、恐れるうるちゃんに次のようなことばが心に響いてきたのです。「あなたの傷はもう癒されています。わたしが介抱したのです。完治しています。さも傷がまだ治っていないかのようにふるまうことが歩けなくしているのです。実際の怪我のように…。リハビリ中は多少痛みが伴いますが、霊のリハビリ中なのですから。“治っていない”というような惑わしに負けないように。癒し主を信じなさい。」その次の日、うるちゃんは、マーサさんの友人Uさんへの手紙に書いた思いは伝わったことを本人の感謝の電話から知ることができたのでした。
※ 下線部の父についての証し
※ 下線部の手紙にまつわる経験:「part 5-4 和解への試み」参照


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  【うるちゃんと教会】
  ★ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)



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Wednesday, September 09, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-4 転籍

  【前回までの登場人物】
      うるちゃん    : 主人公
      なごみちゃん   : 長女
      サイエン君    : 長男
      はづきさん    : 友人
      マーサさん    : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
      A牧師      : A教会の牧師
      K宣教師(夫人): A牧師をマンツーマンで教えた宣教師(夫人)
      W宣教師     : W教会を開拓した宣教師
      B主任牧師    : B教会の主任牧師
      B1牧師     : B教会の主任牧師の長男である牧師

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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  B教会のB主任牧師は異言とペンテコステ派を異常に嫌っていました。歴史ある教会で、先代のB0牧師がいろいろ変な行動を見たということで、ペンテコステ派のようなカリスマ的なことをとても嫌っていました。うるちゃんもA教会にいた頃、いろいろなことがあったので、霊を見分けることが重要だとは認識しています。初めて教会を訪れた1997年1月5日(日)にB主任牧師と話をしたときに異言を持っていることを告げ確認した時は、「まあ、いいんじゃないですか?」だったのですが、1ヶ月後の家庭集会に顔を出された時には、釘を刺しておきたかったのか、「ぼくは異言が大嫌いだ!」と本音を言われました(※ うるちゃんは教会の集まりで異言を用いて祈ったことはないです)。突き刺すような言葉でした。その時、うるちゃんは、「交わりを持てる信徒はいないのですか。」と祈りました。そう祈った日の夕方、Eさんと歯医者で会ったのです。以前Bハイツに住んでいて、いろいろあり今は引っ越して家族ともども本教会へ行っている信徒の方でした。アッセンブリー教会で異言を伴った聖霊を受け、以前、B教会のB主任牧師やB主任牧師夫人に悪霊によるものだと言われ、悔い改めを迫られ「もう異言を語りません」と誓わされたことがあるという経験をした痛みを持つ姉妹でした。そのEさんとの交わりにも支えられました。
                                                 ※ 下線部についてのコメント

 そんな中にあっても、B教会で養われ出して半年が経って、イエス様の愛と導きの確かさを日々実感していました。
B教会30年史を読み、教会の歴史と自分が通ってきた信仰が、及ばずながらも類似していること、長男のB1牧師を中心とした交わりに聖書に見られるイエス様の愛が感じられたこと、3世代にわたる信仰の不変性に感動してもいました。

 異言のことやA教会で理解されなかった今までの経験から、教会の移籍をためらっていたのですが、考えていた移籍のことを祈ってみることにしました。気になっているのは、異言の見解についてでした。

 1997年6月1日(日)のB2伝道師(B主任牧師の次男)の民数記からの礼拝メッセージにおいて、「マナ(みことば)だけで栄養は十分とれる。エジプトの、きゅうり、すいか、にら…(預言、異言、賛美…)がないといって、再び罪の奴隷下に行きたいのか。」と、主が言っておられるように思えました(※B2牧師は普通に聖書を解き明かしただけです)。実際、メッセージは、「主がいわれる」という前置きがなくても、主イエスが見えるようなメッセージがいつもとりつがれていましたし、異言の祈りは、個人で家で祈る分については差し止められてもいず、B教会で歌う聖歌や特選聖歌以外のワーシップや近年の賛美曲は家で自由に歌えることだと思いました。この日以降、1年間、B2伝道師は皮膚炎が悪化して休んでしまわれました。

 また、1997年6月8日(日)のB1牧師のメッセージは、ガラテヤ人への手紙 4:21-5:1からで、「奴隷の子は奴隷しか産まない」というもので、特に、心揺さぶられ主の愛が流れてくるものでした。   当時のメモPdf
肉の働きで、多くの人をたたきこむように人を救いに導いても、自分の正しさを主張して誤りを正したとしても、結局、奴隷の子どもになるだけだと、よく理解できたのでした。これまでもブレのない聖書観でメッセージが語られていましたが、この日、A教会の福音とB教会の福音の違いがどこにあるかが、はっきりと見えたのです。

 うるちゃんが救われて、まだ、洗礼を受けていない頃、御陵参道に住んでいましたが、周囲の圧迫から、聖書に書かれている聖霊を受けたいと祈って求めました。はづきさんに勧められるままに新約聖書を読んでから、「異言とは何か。弟子たちを変えた聖霊とは何か。求める者には、だれにでも与えられると書いてあるが…」という思いが残ったのでした。それほど、使徒の伝道の働きの中心を占めていた力の源の現れのように書かれていました。はづきさんもまだ経験がなく、聞いたことがあっただけというので、とにかく祈り求めてみることにしました。ある夜、口が振動して何か語っている夢を見ました。あまりにリアルだったので、聖霊様なのだろうかと、当時通っていた近くの教会の方に相談してみました。「イエス様の弟子でさえ、一緒にいても3年かかったのよ。(イエス様が地上にいる間は、まだ地上に聖霊様は臨在されなかったのだから、今考えればあたりまえですが)」「○○さんさえ、10年かかったのだから、まだ早いわよ。」「調べてみないと、悪霊からかもしれない。」など言われ、うるちゃんも否定してしまいました。否定した途端、花粉症がひどくなり、数日間、苦しみました。平安もかきみだれていたので、そのことについて祈ると、不信仰の罪を示されたのでした。聖霊様を疑ったことを悔い改めた途端、身体中かけめぐる振動とともに、舌が勝手に動き出したのです。使徒の働きにある現象が理解できました。自分で止めようとしても、体の奥からわきあがってきて止められないという不思議な体験でした。この体験は、聖書に書かれている神が本当におられ、今も共にいてくださる!という確信を揺るぎないものとし、何にも代えがたいものとなりました。
この後、A教会に導かれ、洗礼を受けたのでした。
                               「小羊うるちゃん物語」part 2-1 聖霊のバプテスマ 参照

 B主任牧師に異言が大嫌いだと言われたのですが、祈りで受けた異言は、うるちゃんは当時の心を吟味しても、否定できませんでした。マナだけで栄養が取れ、マナ以外に重要なものはないというのもわかるのですが、これまでの信仰生活での体験は、うるちゃんにとっては、イエス様が今も生きて働いておられる証しであり、なごみちゃんの交通事故の時の体験とともにうるちゃんの信仰の基となっているのです。

 このことを祈っていると、「信仰は一つであり、御霊も一つです。」と主が心に語られたのでした。また、今まで引っ越しが多かったので、これから先、どこへ行くかもわからない…と思っていると、「何も思い煩わないで飛び込みなさい。明日のことは明日が心配します。…。」と語られた。次に黙示録の7つの教会を示され、「教会をもさばかれる主が来られる時が来る。」という思いが浮かび、主ご自身が人や教会の誤りを扱い、ちょうどよい時に正しくさばいてくださることを信じることができたのでした。そこに神の愛があれば、わかりあえると信じ、移籍を決意しました。

 が、移籍の意思をB教会に伝えようとした朝のこと(1997年6月11日(水))、Dチャプレンから電話があったのです。Dチャプレンは、A牧師経由の紹介でうるちゃんはワープロの文書作成の仕事を頼まれ、ボランティアで手伝っていたA牧師の友人でした(A教会を去って1か月ほどして、辞退した経緯がありました)。Dチャプレンは、うるちゃんに「今朝、(聖霊様に)3時に起こされ祈っていると、示されたことがある。あなたは、A教会に戻る。そして、リーダー的な重要な働きをする。」と言いました。以前、他の「預言者」と言われている牧師や、預言の賜物を受けたという信徒の方から、全く同じことを言われたことがあったことを思い出しました(その3人は、それぞれほとんど面識がない)。うるちゃんの移籍の決意は固かったのですが、Dチャプレンから「電話番号がもうわからなくなっていたのだが、聖霊様が番号を教えてくれた。」と不思議なことを言われ、多少動揺しました。祈ってみると、「神は愛である。その人たちは、御霊の実を結んでいるか。」と語られました。うるちゃんにはその人たちに神の愛が見えていませんでしたが、うるちゃんが見えないだけかもしれないとも思いました。実際こうして、うるちゃんのことを思って、電話をくれたのは一種の愛のようにも思われてきます。うるちゃんがイエス様の語りかけだと思っているのも、実は自己満足で万が一違っていたらと、またまた疑ってしまいそうになってくるのでした。

 すると、今朝、電話がかかる前のデボーション時に照らされたみことば、「彼らの前にあるすべてのものが愛であるか、憎しみであるか、人にはわからない。(伝道者の書 9:1)」が思い出されたのです。

 一見、愛のようでも、それが真実の愛かどうかというのは、人にはわからない。ただ、わかったことは、その人たちに愛のない数々の行為があったということだけでした。それと電話の内容はみことばをもって言われたわけではないので、いくら不思議なことであっても信頼するわけにはいきませんでした。

 すると、次の日、預言の賜物を受けたといっていたA教会のKさんから電話があり、「今、祈っていたら、ある預言があった。うるちゃんさんのことだと思うのだけど、詩篇23篇『主は私の羊飼い。…。』ときて、『わたしの迷える羊を助けなさい。』ときたのだけれども。」と言われたのでした。「うるは迷っているわけでもないから、違うんじゃない?」と答えました。

 移籍の決意をした途端のこれらの出来事を、確信もないままに無視するわけにもいかず(この不思議を悪い霊の働きと決めつけて行動したならば、うるちゃんにされたことと同じことを今度はうるちゃんがクリスチャン相手にすることになるからです。)、うるちゃんは、とにかく祈りの中でうるに語られたことを捨ててはいけないと思い、もう少し、様子を見ることにしたのです。

 うるちゃんは、もうこれ以上、心を揺さぶられたくなかったので、もうA教会とつながっていたくなかったのですが、「籍を移そうと思っただけで、なぜこのような妨げがあるのか。半年が経ち、A教会との接触はもうなく、実際にはもうB教会にいるようなものなのに。移籍の思いは固まっているのだが、後一押ししてほしい。」と思っていたら…。

 1週間前、特選聖歌集(B教会独自の聖歌集)をなくしてしまったようであることに気づきました。これがないとB教会の礼拝時の賛美がわからず、困るものでした。「主よ。またなのですが、あきれないでください。今度は特選聖歌集がなくしてしまいました。見つけてください。」と祈りました。これまで、主に祈って見つからなかった物はありませんでした。すると、「集会場の机の下に忘れてきたのだ。」という思いがわきあがってきたのです。行って集会場のフロントに聞いたのですが、届いていないと言われました。「日曜日になって、メッセージで移籍についてのみこころが語られて、かつ、特選聖歌集が見つかったなら、移籍しようと思います。一押ししてください。」と祈って、礼拝に向かいました。

 1997年6月15日(日)の朝、礼拝に出向き、もう一度周囲に聞いても特選聖歌集はありませんでした。B2伝道師の代わりに来られたM牧師のメッセージを聞いていると、「証しするのにも時がある」と心に浮かんできて、「異言についての証しはB教会にはまだしなくてもよい。時期がある。不安を除くために認めてほしいという自己満足でしようとしている。」と主が言われたような気がしました。「はい、そうですね。その通りでした。」と心で答えた時、ドアがノックされ、特選聖歌集が見つかったのであった。まことに不思議な主のタイミングだった。こうして、異言の見解の違いによる不安は主を信じて委ねることにし、移籍の決意が整ったのでした。   当時のメモPdf

 そして7月始め、B教会に移籍したのです。

 この移籍時の不思議な2件の電話は、神を正しく知り、恵みのみことばをしっかりと蓄える必要性を刻んだ出来事となりました。
B教会での1年半の礼拝と家庭集会のメッセージを通して、うるちゃんは、恵み(神の愛)による聖書の読み方を、教わったのです。
それは後に学んだどの神学校の教えよりも、深く心の奥底に刻まれているのでした。


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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)



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Friday, September 04, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-3 奇跡と癒し

  【前回までの登場人物】
      うるちゃん : 主人公
      なごみちゃん: 長女
      マーサさん : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
      W宣教師  : W教会を開拓した宣教師
      B主任牧師 : B教会の主任牧師
      B1牧師  : B教会の主任牧師の長男である牧師
      A牧師   : A教会の牧師

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

※ 今回の物語には、一般のオーソドックスな多くの教会ではなされていない祈り方が記されていますが、聖書にも記されている祈り方です。寛容な視点でお読みください。

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  この間、A教会にいた時に培ってきた信仰の面でも主の支えがありました。
サイエンくんが高熱を出して、学校から呼び出しがかかるということがありました。うるちゃんはすぐに迎えに行って、熱の追い出しをしました。祈り始めると途中で寝てしまいました。38度以上あった熱が一時間後に目覚めた時には、すっかり治っていたのです。

 まだA教会にいた1996年9月1日にサイエンくんの目に出来物ができ、医者に行っても治らず、1年間がたちました。
1年間、膿んだり出血したりして、目の半分をぶらぶら覆うまでになっていました。医者は「切らないと治らないがもう少し(サイエンくんが)大きくならないと切れない」と言っていたのです。1年がたって、出血がひどくもう限界にきていました。うるちゃんから医者に「お願いですから、切ってください。」と頼むと、大学病院を紹介してくれたのです。大学病院は電車とバスで1時間はかかるところにありました。大学病院に行くと、月曜日に行って手術してもらうことになりました。その前々日の土曜学校(子供の聖書学校)で、目の不自由からぐずり出したサイエンくんがかわいそうで、寝てしまったサイエンくんの目に手を置いて声を出さず、癒しを祈りました。1年間祈っていたことでしたが、この時の真剣な祈りを主は聞いてくださったのです。土曜学校から帰って間もなく、外にいたサイエンくんとなごみちゃんのうれしそうな声が飛び込んできました。「ママ~、サイエンくんの目がとれたよ~! ハートの形だよ~!」 見ると、出来物がハート形にとれていたのです。跡形もなく…。それ以来、完治しています。月曜日、いつもの病院へ行って、事情を話すと、「何をしたんですか?」と驚かれてしまいました。そして、首をかしげながら、病院の紹介料を返してくれたのです。

 当時住んでいた町の子供会の班長がまわってくる前年のこと(前の年から、次期班長もいろいろな行事に参加することが決められていました)。この町内の地区センターは神社のすぐ横にありました。そして月1回の会合があり、年に数回、宗教がらみの行事がありました。救われて間もなくの御陵参道の経験から気が重くなっていました。そして、摩擦から逃れさせてくださるように祈っていました。ある日、マーサさんが「Bハイツは、いろいろな人がいるから、そういう宗教的なことはないよ。来れば?」と言ったのです。ちょうど会社で、Bハイツのシャ宅の申込みをしていた期間でした。締切りぎりぎりのところでした。いちおう申し込んでみるかと軽い気持ちで申し込んでみました。辞退者が出て、抽選もなく、引っ越しが決まったのでした。御陵参道に住んでいた時に、Bハイツのよくないうわさを耳にしたことがあり、避けようと思っていたBハイツに住むことになったのですから、不思議なものです。

 また、とある休日、外で遊んでいたサイエンくんが、冷や汗をかいて帰ってきたことがありました。1階の自動ドアを、そばに置いてあった台車で遊んでいて割ってしまったというのです。聞く話によると、数万はするようでした(以前、割った人は5万だったと聞きました)。

 ちょうど気落ちするような事件が、2件起こった時でした。1件目は、朝、お弁当のフライを揚げていると、火が付いて、上の方を焦がしてしまったのでした。もう少し、消すのが遅れたら、危うく火事になるところでした。2件目は、同じその日に、A教会を出る時に相談しようとした(A牧師をマンツーマンで教えた)K宣教師夫人から、手紙が来たことでした。A教会を出て、1年後のことでした。1年前に出した手紙が戻ってきたので、また送ると書いてありました。表の宛書のうるちゃんの住所や名前の漢字が間違っていて、しかも、Bハイツに引っ越した後のことでした。よく届いたなあと思い、中を見ると、ローマ14章4節、「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。」とあり、牧師をさばく罪を説明する言葉も書かれていました。これは、当時、幾人かのA教会の姉妹にも言われた言葉でした。自分の受けた痛みを本人に伝えることが、さばくことになるというのか。教会とはそういう世界なのか。癒えかけていた傷が痛みました。祈ると、聖書を見なさいと言われたような感覚を覚えました。その個所ローマ14章4節を見てみると、その前には、「あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。」(ローマ 14:1)とありました。A牧師やK宣教師とうるとでは、うるの方が信仰が弱いはずではないか。とりあえず、心は守られました。このことから、A教会のA牧師も、教えてくれた人から受け継がれた信仰を守っているゆえにしたことだということを知り、再び、愛する心をいただくことができました。

 自動ドアを割ったのは、この2つの出来事に続く出来事だったのです。「主よ、もう立ち上がれません。愛してくださっているならば、ただにしてください。」と祈って、管理事務所に向かいました。すると驚くことに、「今回は、(弁償は)いいです。業者が(台車を)置いていったということもありますし、今回は、公団側で持ちます。」と言われたのです。前に割った人は弁償していて、今回も置いていった業者が持つわけでもないにもかかわらず、特別のことのようでした。自治会役員をしているマーサさんのご主人(まだクリスチャンではなかった)は、ただになったことを驚いていました。

 ひとりぽつんとA教会を追い出されたように出たうるちゃんに(正確には、家族4人でしたが)、主が与えてくださった慰めの一幕です。信仰があれば、どの教会にいても、癒しも奇跡も起こるんだよと、言われているようでした。

 A教会を出てからの1年間、自分のいたらなさにも気付かされました。A牧師はA牧師として教会のためを考えて精一杯にやっているということもわかりました。与えられた信仰はそれぞれ違い、神と人との間の信仰に他人が割り込むこともできず、神に祈り委ねることが大切なのだということも知らされました。そして、「人を高慢だと思うこともまた高慢なこと、人はすべて高慢な所があるのだ。」「人に過度に要求すること自体がすでに人を裁いている。~してくれないと思うことで人を裁いている」という自分の高慢、裁く思いにも気付かされました。
                                                         ※ この個所のコメント

 こういう心の痛みを通ったおかげで、1998年の8月には、カウンセリングスクールにも導かれました。

 1年間のB1牧師によって、恵みのメッセージが語られ、今までの教えとの根本の違いが整理されていき、イエス様の愛が伝わってきました。聖書の奥深さにもひきつけられました。何よりも、聖書がよくわかるようになったのです。

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)



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Thursday, September 03, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-2 神は見てくださっている

  【前回の登場人物】
      うるちゃん : 主人公
      なごみちゃん: 長女
      マーサさん : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
      W宣教師  : W教会を開拓した宣教師
      B主任牧師 : B教会の主任牧師

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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 初めてB教会の本部に行った礼拝の後、B主任牧師と話す機会が与えられました。そこで、エホバの証人対応に対する意見と、異言のことを尋ねました。後々、摩擦が生じて問題が起こりそうな見解ならば、やめておこうと思ったからでした。その時の話では、エホバの証人対応については、特別な反応は見られず、異言も別に個人的なことはかまわないとのことでした。

Ansoku 1997年1月7日(火)の家庭集会では、B主任牧師の長男のB1牧師が“安息について”語られ、心からの安らぎを覚えました。前教会のA牧師の12月19日以降の講壇からのメッセージによっても傷を受けていたうるちゃんは、「荒れた思いの説教は人を押さえつけるようなメッセージになる」と語られた時、その言葉にすべてをご存知のイエス様を見たのでした。メッセージの前の「キリストにはかえられません」の賛美の時、「何か、大きな傷を受けた羊がイエス様のひざもとにきて慰めを受けている」幻が見えたのですが、その通りの内容のメッセージで、びっくりしました。
                                                         ※ この個所のコメント

 また、前教会のA牧師から「あなたとモーセは比較にもならない!」と言われた時(「『でも』というのが、反抗なのだ」と言われ、「モーセも『でも』と言いましたよね。そこから、とりなしが始まったんですよね。」と聞いた時に返ってきた言葉)には、「モーセがだまっていた代わりにアロンやミリアムの高慢を神ご自身が裁かれた。モーセがそうであるならば、イエス様が内住する私たちクリスチャンはそれ以上のものである。」と語られ、「うるちゃんの手紙から悪霊を追い出した」と言われたならば、マルコ7章15節~23節から「外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。内側からの悪い思いがその人を汚すのです。自分の心を守るように。」とタイミングよく語られ、支えてくださったのでした。いつもなぜか的確なメッセージが心の傷が完全に癒える(1998年5月末)まで続いたのでした。
※ 下線部の「でも」が反抗的:「part 5-3 報告」参照
※ 下線部の手紙から悪霊:「part 5-4 和解への試み」参照

 このような1年間のB1牧師の週二回(礼拝と家庭集会)のメッセージと支部の方々との交わりを通して、前教会の教えの混乱と傷は徐々に癒されていきました。B1牧師は意識していなかったのですが、癒しの過程には後で学んだカウンセリングの手法が使われていました。この経験を通して、主は偉大なカウンセラーだと実感したのです。

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)



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Sunday, August 30, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-1 B教会へ

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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  uruchan「小羊うるちゃん物語」Part1~Part5に書いたようなところを通って、大きな傷を抱えて飛び込んだB教会で2年の養いを受けました。

 B教会へ行ったいきさつを書くと…、
A教会を去るとはまだ夢にも思っていなかった頃、韓国旅行から帰って間もない1996年10月18日に、B教会の支部の日曜礼拝の場になっていたY会館の前を偶然通ったのがきっかけでした。その時、奥のほうに並んでいる一つの看板が目の端にとまったのです。 近くに教会ができたんだとうれしく思ったことを覚えています。12月になって大きな傷を受け、教会をどうすればよいのか祈った時に、そのことを思い出し、思い切ってB教会に電話してみました。その時、Bハイツで家庭集会が開かれていることと、Bハイツに住んでいる信徒でなごみちゃんと同じ学年の女の子がいることを聞きました(それが後出のマーサさんでした)。Bハイツについては、この地に越してきてからずっと、主の示しの中で祈ってきたことがありました。祈りで、この建物の上に幻を見たことがあったのでした。それで、このようなことになったのも、神の導きと信じることができたのです。
                                                 ※ 下線部の記事

 それでも、A教会とは全く違う教派のための迷いがあり(A教会などでは福音派などの力のなさを聞いていたからでした)、1997年1月5日(日)、都心部にある本教会に家族で訪れてみました。その集会の様子は、A教会とまったく違ったものでした。静かでまじめで型にはまった厳粛な礼拝。宗教をしたく信仰を持ったわけではなかったうるちゃんは、「主よ、間違えましたか?」と心で問いました。そのとき、いくつかの聖歌が歌われたのです。帰省先のW教会での神学生による元旦礼拝で歌われた聖歌と妙にすべて一致しているのでした(W教会では、これまで聖歌を歌ったのを聞いたことがなかったのですが、たまたま、W宣教師が留守で、神学生が担当していたため数曲歌ったものでした)。B主任牧師のメッセージを聞いていても、文語聖書を使っているということもあり、固く心に入ってこず、「あ~、うるの語りかけって一体…」と思っていると、「先代のB0牧師が戦時中の迫害下で三年半投獄された。一番長く投獄されたのは日本で二人だけだった。」という内容の証をメッセージの終わりの頃になされました。落ち着ける教会を探すにあたって、聖書を愛する深い信仰を求めていたうるちゃんは、「迫害にあっても信仰に耐えられる兄弟姉妹のいる教会へ」と祈っていて、このメッセージの内容に祈りの応答を見たのでした。「迫害に耐えうる教会」「霊とまことの礼拝者のいる教会」その2つを具体的な教会への願いに入れていたのです。当時のうるちゃんは、「世界中でひとりになっても主に従いたい。どうせ死ぬなら、主のために死にたい(一度の人生、人間はいつかはこの世を去る)。迫害にあって死ぬのもよい(ただし苦しまずに一瞬で死にたい)。」と思っていました。A教会で聞くイエスさまは私が知っているイエスさまと、何か違うように感じていたうるちゃんは、どこかで信仰による孤独を感じていたのでした。

 「迫害に耐えるかどうかは、起こってみないとわからないのだよ。肉でだって耐えうることがある。戦争中、迫害に耐えたのはキリスト信仰だけではなく、異端や他の宗教の中にだっていたのだよ。」「霊とまことの礼拝者というのは個人個人の心のあり方であって、教会単位ではないのだよ。」信仰による孤独を感じていたうるちゃんが教会への導きとして2つの祈りにあげていた事柄によって、主は、外的要因では決して信仰は量れないのだということをこのB教会にいた二年間で教えてくださいました。主はまことに真実で正しい方。このようなつたない祈りにも答えてくださって、益としてくださったのです。確かに迫害に耐えた教会でした。そして、まことの礼拝の心を持つマーサさんという誠実な友をも与えてくださいました。このように、祈りには応えてくださったのですが、このB教会で、うるちゃんは心が強くなる訓練を受けることになるのです。     つづく・・・

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)



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