Tuesday, August 18, 2020

「小羊うるちゃん物語」part 5-番外編 主による韓国への旅

  【Part5の登場人物】
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     友人Nさん  : なごみちゃんの幼稚園のママ友
     友人Iさん   : A教会で出会った友人
     Gさん    : エホバの証人に入ったばかりの女性
     Tさん    : バプテスト教会の知人女性
     S牧師    : A教会に来た同盟教団の牧師
     K宣教師   : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師
     B主任牧師  : B教会の主任牧師
     Leeさん   : 韓国旅行で知り合った宣教師婦人
     B1牧師   : B教会の主任牧師の長男である牧師
     S師     : 日本に預言の働きを導入した外国人
     有名人のNさん: A教会の信徒
     S.S女史   : A教会に来た外国人の「預言者」

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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  1996年8月、へいわくんが韓国へ出張に行きました。出張が決まってから、うるちゃんは「子ども達も夏休み中なのでついて行けないかな? 世界で一番大きいと言われているY教会へ行きたい…。」と言っていたのですが、日にちが東京リバイバル聖会と重なっていることと、導きがなかったこととで思いは消えていきました。

 出張に行ったへいわくんが出張最終日にホテルに戻ってくると、テーブルの上に一泊無料宿泊券が置いてあったそうです。フロントで聞くと「プレゼントだ。」と言われ、持ち帰ってきました。ソウル中心部の1流ホテルのエグゼクティブダブルルームで、有効期限は4ヶ月でした。あまり経験したことのないこの宿泊券をどのように用いるのがみこころなのか祈りました。「うるが行くのか、誰かにあげるのか…。もし、うる自身が行くのならば、誰か一緒に行く人が必要です。必要をも満たしてください。」と祈り、数人に声をかけ、待ちました。数週間後、はづきさんが、「夫が『子供たちを見ているから、行ってきたら?』と言った。」と言うのです。Mバイブルキャンプや夏期聖会に行かせるのも渋った御主人が、すんなりと許可してくれたのです。海外旅行にも慣れていず、英語もハングル語もわからない2人でしたが、2人で行くことには平安がありました。

 金銭面でも主は備えてくださいました。バブルがはじけてから今までこなかった在宅の仕事の依頼が4、5年ぶりに来たのです。いろいろ外注を当たってみたけど、意にそぐわず、うるちゃんのところまで回ってきたのでした。

 人、旅行に必要な金銭が備えられ、次は日程です。子供たちがいるため旅行期間中へいわくんが休みの日の連休でないと行けません。4か月という期限内に可能な日が3回ありました。その中で10/10(木)か 10/11(金)~10/13(日) が一番良いように思えました。10/10 は幼稚園の運動会。休むのには子供たちもうるちゃんも抵抗はなかったのですが、問題はうるちゃんが運動会の役員だということでした。運動会委員のことは、引き受けた際にできない可能性を言って引き受けたこともあり、他と調整できました。はづきさんの幼稚園も運動会でしたが、これも実家のお母さんが来てくださることで、解決しました。

 日程が決まると、次は航空券です。ところがすでに一ヶ月を切っているのと、秋の連休ということで、どこの旅行会社もキャンセル待ち。主のみこころならば、備えられると思っていたら、うるちゃんのシャ宅の2階に住むKimさん(韓国人クリスチャン)の行っている教会に韓国の旅行会社をしている方がいるから、手配してくれると言われ、格安でとってくださったのです。はじめは、帰りの便を13日(日)の11時の飛行機にしていましたが、よく考えると礼拝に出られません。「まあ、しょうがないか。早朝の礼拝に出よう。」と思っていましたが、13日だけの臨時便が出来、旅行会社の人の勧めで16時発のその便に変更できたのです。ところが、後ほどその便が、済州島経由になる可能性が出てきました。それだと倍の時間がかかるので、嫌だと思い迷いましたがすべて委ねることにしました。結局、済州島経由になりました。

 ホテルの予約もKimさんがしてくださいました(ハングル語が必要)。次はパスポート。本籍の大阪に戸籍抄本を申請したはずが、抄本附票が届き、パスポートの手続きができませんでした。パスポート取得のためと書いて料金を添えて申請したはずが、おつりが入っていておかしいなと思ったのです。もう日にちもなく困っていたところ、電話で料金後払いの速達で送ってもらい、なんとか間に合いました。スーツケースを買えば、鍵が不良で、店に足を運ぶこと2回。ことごとく苦労するのはなぜだろうと思いました。

 なぜこんなにも苦労するのか(その都度主の助けがあり、道ができるので)、ただY教会を見てくるだけではなく何か意味があるのか、主に祈りました。すると、「日本が過去犯した罪の謝罪」のことが浮かびました。そういえば、2年前のある導きから、戦時中に日本人がなしたことを知り、はづきさんとうるちゃんは小さいながらもとりなしてきたことでした。また、具体的にどのように謝罪するのかも祈りました。すると、「ハングルで書いたトラクトを持っていくように。」と言われたのです。ハングル語などわからないので、ボランティアに行っていたEHCかどこかで、調達できるのかと思いました。遅く帰ってきたへいわくんに、「ハングルのトラクトを持っていくように言われたのだけど…。」と告げると、「あ-、それなら会社に、日本語 Windows95に対応するハングルのワープロがある。」と言うではありませんか。さっそく持ってきてもらい、取り組んでみました。
                                                 ※ 下線部についてのコメント

ハングル語のトラクトは、2階のKimさんやはづきさんの幼稚園のChaさんの助けも借りたり、教会の助けを借りたりして、2日前の8日にようやく出来上がりました。

 Chaさんの紹介で、日本人の韓国語学科の学生クリスチャンの女性で、韓国にも留学したHさんとも知り合うことが出来、日本人からの立場の韓国の様子も少し聞くことができました。なにしろ、うるちゃんはハネムーン以来2回目の海外、はづきさんに至っては初めての海外、ハングル語はもちろん、英語も中学程度にしかわからない状態でした。ツアーも組まずに、外から見れば無謀と思われてもしょうがないような旅です。でも、不思議に平安でした。祈りの時に、「主が御使いをあなたといっしょに遣わし、あなたの旅を成功させてくださる。」(創世記 24:40)というみことばを示されたからでした。

 1日目。飛行機に乗り、順調に出発しました。日本を出て東シナ海上空に来た頃、腰に何か感じました。別に気にも留めなかったのですが、ソウル空港を出ると、それが痛みに変わり、夜には激痛になりました。空港へ降り立つと、日本語が通じないことや腰が痛みだしたことから、少し恐れがやってきました。すると「ひるんではいけません。恐れずに行きなさい。わたしが共にいます。」という言葉が心に響きました。平安を取り戻し、リムジンバスに乗りホテルへ行きました。ホテルまではタクシーで、と思っていたのですが、飛行機で隣席になった韓国人ビジネスマンがリムジンバスで行くように勧めてくださったので、バスで行くことにしたのです。そのビジネスマン(ノンクリスチャン)にトラクトを渡し謝罪すると、笑顔で答えてくださり、とても親切にしてくださいました。

 次にトラクトを渡したのは、ホテルに行き、エレベータに同乗したポーターのChoさんにでした。Choさんはクリスチャンで、荷物が不自由なら、帰る日まで自分の名前で荷物を預かってくれるとまで言われました。次はホテルの夕食時、笑顔でサービスしてくれた若い女性に。その女性もまたクリスチャンで、気持ち良く受け取ってくださいました。言葉はわからず、海外も初めてに近いものでしたが、トラクトを通じて、いろいろ交流ができました。
腰が痛く、始まったばかりの旅、動けなくなったら大変! それでマッサージを頼むことにしました。フロントで聞くと受け付けの女の子に吹き出され、妙に大笑いされてしまいましたが、なんとか頼むことができました。いまだにこの笑いが何だったのかはわかりません。マッサージに来たのはKanさんと言う目の見えない若い女の子でした。クリスチャンではないということでしたが、話をしていくうちに一度は信じ、洗礼も受けたことを打ち明けてくださいました。とても印象的な女性で、その人のために共に祈ることができました。御両親にでもと、トラクトを手渡しました。

 2日目。マッサージをしてもらったのですが、痛みは増していました。声をかけてくれたホテルの掃除係のおばさんにトラクトを渡し謝罪したところ、聖霊によるとしか思えないような(感情ではない)涙が溢れ、言葉は全く通じないのですが、3人で涙を流しながら祈り合うことができました。後で通訳の人が備えられ、話をしてみたところ、長老教会の役員の方で、ずっと日本のために祈っていたようでした。短い時間でしたが、良い交わりも持てました。

 腰が痛いといって寝てもいられないので、午前中ははづきさんが行きたがっていたロッテデパートの地下へ。売り場を教えてくれた2人の女の子にトラクトを渡してみました。いちおうクリスチャンだと言っていました。言葉が通じないのですが、キリストの内在の有無の違いがなんとなくわかるような気がしました(気のせいだったのかもしれませんが)。

 ホテルをチェックアウトして、とりあえずY教会へ行こうと乗ったタクシーの運転手が、偶然、KanさんというY教会のメンバーの方で、事務室まで連れていってくださいました。そこで親切なガードマン2人にトラクトを渡すと、日本宣教会の人を呼びに行かれました。来てくれた日本宣教会のおじさんに謝罪すると「非常に悪いタイミングの時にきたものだ。政府の問題だから個人的にされても困る。」というようなことを言われ、祈祷院までの手筈をとってくださいました。おじさんの言葉で、逆に話題になっていることなのだと知り、ますます主のタイミングだという気がしました。祈祷院でも数人にトラクトを渡しましたが、だれもが快く受け取り、「わかりました。」と言うのですが、「あなたがた日本人を赦します」と言う人がいないことに気付きました。ちょうど持ってきた本に、2国間の壁を除くのは2国双方の告白が必要だと書いてありました。腰痛の癒しも祈りましたが、主は「癒されるのにも時がある。」と言われるだけでした。韓国へきてからの腰痛と頭重感と戦いながら、「あなたがた日本人を赦します」と言ってくれる韓国人クリスチャンとの出会いと、当時の身近な体験を持つ方との出会いを祈って眠りにつきました。

 3日目。「腰を伸ばせば、痛みは消えます。」という語りかけで目覚め、腰を伸ばしてみました。鈍い重さは残っていましたが、夜中にもあった激痛がなくなっていました。Y教会の前のホテルに泊まるつもりで、祈祷院を出ることにしました。9時半のバスに乗るつもりが遅れて10時に乗ることになりました。ベンチでバスを待っていると、一人の女性が話しかけてきました。「Are you Filipina ?」(昔からよく東南アジア系の顔だと言われていたが……。)Y教会の奉仕者、Leeさんとの出会いでした。トラクトを渡し謝罪して、「私たち日本人の犯した罪を赦します。」と言ってもらうことができました。時計を見ると10時になっていて、そこで初めてバス乗り場の場所が違うことを知り、別れもそこそこに立ち去りました。結局バスにまたもや乗り遅れ、11時のバスになってしまいました。バスを待っていると一人のおばあさんがやってきました。片言の日本語の会話でわかったことは、お兄さんを日本人との戦争で亡くし、慰安婦を危機一髪のところでまぬがれた知人を持つ方ということでした。更に、「昨晩の祈祷院でのメッセージは、日本人を赦すという内容のもので、たくさんの方が涙ながらに赦しを取り扱ってもらった。あなたたちだったのね。」とも言われ、主の御手を感じたのでした。そのおばあさんと、涙で祈り合い、謝罪と許しの告白をすることができました。

 やっとバスが来て乗ると、先程のLeeさんが乗っていました。バスの中で話しているうちに午後の行動を共にすることと、夜、泊めていただくことになりました。先ほど予約したホテルはキャンセルしました。Kanさんのタクシーを呼び、西大門の独立公園の資料館へ行くことになりました。そこは、戦争時の日本の行為の写真や蝋人形があるところでした。3階建ての中に入ると奥に行くにつれて怨念としか表しようのない憎しみと赦せない思いを抱かせるような圧迫感を強く感じ、吐き気と頭痛がしてきました。Kanさんは急に不機嫌になり、怒ったように早々と出ていってしまっていたので、残ったLeeさんとはづきさんとうるちゃんの3人、つき動かされるように資料館の中で祈りました。赦しの告白と祈り。祈り終わった時の平安は心地よいものでした。このような資料館は、韓国の人にとっては、憎しみをもたらすためのものでしかないことを感じました(日本人にとっては何かがあったことを知るために必要なものですが)。資料館の前で出会ったクリスチャンの学生5人ぐらいに謝罪したところ、すがすがしく受け入れてくださいました。

 夜はLeeさんの家へ。Leeさんの御主人は5千人の教会(Y教会ではない)の牧師でした。夜、Leeさんの友人が会いに来てくれて、共に賛美し(言葉は片言の英語しか通じなかったので、ハングル語と日本語で共通の聖歌を数曲歌い)、祈り合い、良い交わりをもちました。Leeさんは3ヶ月前の祈りの中、幻で日本の国旗を見ていたことも話してくださいました。手厚いもてなしを受け、翌朝Y教会へ。夜、寝る前、再び腰痛が戻ってきました。

 4日目。9時の礼拝に出席。人数の多さとオーケストラによる賛美が印象的でした。礼拝が終わり、Y教会のポーチで絵が売られていました。そのまま歩いていくと、このような場所にいるはずもない鳥が一羽、まわりを人が取り囲んでいました。山鳩の雛のように見えるその鳥がやけに印象的でした。トイレにはいると次々に人が来て、ぼんやりしているとトイレにも入れない状態でした。エレベーターに乗ろうとしても、われ先にと人がつめかけ、意気込まないと乗れないような状態。腰の痛いうるちゃんは、これが世界一の教会の姿なのかなと、気がつくと涙が出ていました。世界一の教会で主は、さまざまなクリスチャンを見せてくださいました。飛行場で数人にトラクトを渡し、飛行機へ。済州島では何が起こるのか、どんな人と出会うのかと楽しみにしていたら、乗ってきたのははづきさんの隣も、うるちゃんの隣もカジノやゴルフを楽しんできた日本人男性。何か意味があるはずだと、イエス様を伝えてみました。

 2人とも、イエス様の話を聞くのは初めて。まわりの2、3人の韓国人にトラクトによる謝罪をして日本に着きました。飛行機に乗る時、「日本にきたら、腰が癒されてたりして…。」と冗談半分で言っていたら、成田に降りて気がついてみると、激痛も、重さもなくなっていました。「なんだったんだろうね。」と言いながらも、これは主の赦しの中での出来事であったのだと改めて思いました。

 帰りはリムジンバスで家の近くの駅まで、後はタクシーで家へ。1本前までのリムジンバスは工事のため大幅に遅れて時間がかかったみたいでしたが、うるちゃんたちの乗ったバスは、予定より1時間も早く着いただということを、乗ったタクシーの運転手の話で知りました。その運転手さんに韓国へ行った話をして証しを少し。その方は名ばかりの創価学会員ということでした。トラクトを渡し、帰宅。

 言葉がわからないなりに、ガイドブック片手に前向きに会話を取り組み、うるちゃんの重い荷物をも運んでくれたはづきさんが行けなかったなら、このような旅にはならなかった筈です。姉妹間の愛と霊の戦い方…、この韓国での学びを終えて、どんなときにも主は共におられることを実感しました。また、自分にとってどんないやな言葉であっても、うるちゃんの心に響いてくる主の声の確かなことも知ることができたのです。今まで主の言葉だと確信しても、でも本当に?と疑いを持つことが度々あったのです。

 次週のA教会での礼拝は、備えられたように、韓国のM.S.牧師夫妻がメッセージのために来られていました。お父さんが戦時中日本軍に迫害にあった牧師でした。日本に重荷を持って、初めて日本での奉仕の時(甲子園ミッションでの指揮)、日本へ来る飛行機の中で、腕が上がらなくなり、舞台に上がったとき、主の力が臨んだという証しをされました。腰が痛くなって、独立公園へ行く3日目だけ、腰が痛くなかったうるちゃんの体験と通じるものがあり、主のすばらしさを改めて実感しました。そしてこの旅が、目には見えなくても主が何かをされたのだということを、信じることができたのです。(この日、7月に行ったMバイブルキャンプでみんなに呼びかけて天気を祈ったときのことが他の人の信仰の励ましとなったことを1枚の印刷物で知ることができました。・・・キャンプ中、キャンプファイヤーを控え、午後からだんだんと雲行きが怪しくなってきて、今にも雨が降り出しそうな空模様になってきました。うるちゃんは、楽しみにしていた子ども達を思って、周囲の人たち一人一人に呼び掛けて、集まった皆で共に祈りました。祈っていると、だんだんと雲が分かれて青空がのぞき出し、キャンプファイヤーを始めたときは、星まで見える空になりました。そのことをMキャンプの会報に、心を合わせて祈った時の「恵み」として証を投稿した方がいて、この日、教会で教えてくれた人がいました。)

 初めから主が計画され、うるちゃんたちはただ主に従って、主の後をくっついて歩いて行っただけなのです。ただただ、主はすばらしい…としか言いようがありませんでした。

 この2か月後に、起こることをうるちゃんは、まだ知りませんでした。

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  【うるちゃんと教会】
  ★ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)

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  「小羊うるちゃん物語」の登場人物まとめ
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     N師     : はづきさんを導いた女性
     H牧師    : H教会の牧師
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     Kさん  : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
     友人Nさん  : なごみちゃんの幼稚園のママ友
     友人Iさん   : A教会で出会った友人
     Gさん    : エホバの証人に入ったばかりの女性
     Tさん    : バプテスト教会の知人女性
     S牧師    : A教会に来た同盟教団の牧師
     K宣教師   : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師
     B主任牧師   : B教会の主任牧師
     Leeさん   : 韓国旅行で知り合った宣教師夫人
     B1牧師    : B教会の主任牧師の長男である牧師
     S師     : 日本に預言の働きを導入した外国人
     有名人のNさん: A教会の信徒
     S.S女史   : A教会に来た外国人の「預言者」
     M.S.牧師夫妻 : A教会に来た韓国の牧師夫婦



 

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Thursday, July 23, 2020

「小羊うるちゃん物語」part 5-6 預言?

  【Part5の登場人物】
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     友人Nさん  : なごみちゃんの幼稚園のママ友
     友人Iさん   : A教会で出会った友人
     Gさん    : エホバの証人に入ったばかりの女性
     Tさん    : バプテスト教会の知人女性
     S牧師    : A教会に来た同盟教団の牧師
     K宣教師   : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師
     B主任牧師  : B教会の主任牧師
     Leeさん   : 韓国旅行で知り合った宣教師夫人
     B1牧師   : B教会の主任牧師の長男である牧師

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

※ 今回の物語には、個人的な「預言」が出てきます。ペンテコステ系教会においての出来事が書かれています。一般のオーソドックスな多くの教会ではなされていませんが、寛容な視点でお読みください。

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 1995年10月、夕拝に初めて、後に日本に預言の働きを広めたS師が通訳者を兼ねた弟子(この方も預言をした)を連れてA教会にやってきました。簡単なメッセージの後、「今、この中の5人に主から『預言』が与えられました。」と言われました。その中に、A牧師、有名人のNさん、うるちゃんがいました。S師は、A牧師に「これから、あなたを使徒として用います」という内容を預言として語っていたことを記憶しています。預言を受けたA牧師はペンテコステの牧師の会合で知り合ったS師について「預言者」だと知らなかったと興奮したように語っていました。

 うるちゃんにも、うれしい内容の「預言」が語られたのですが※1、初めて見る「預言者」は、なぜ、聖書の預言者のように、罪を刺し通し、神の国を治め建設するような悔い改めの働きをしないのか、疑問でした。預言者の役割によるのかとも思っていました。

 その後、A教会に、幾人かの預言者が集会に訪れ出しました※2。そして、翌年の1996年8月に、再びS師が、今度は正式に3日間高原に宿泊しての夏期聖会に招かれました。内容はS師に任され、何をするのかは当日までわからない状態でした。
初日である1日目に、S師はリバイバルに対する預言の働きの重要性と日本に新しいリーダーを立てるというようなメッセージをし、2日目は、午前中の集会の後「午後は、皆さんも預言できるように、訓練をします。」と言われました。3日目は、簡単なメッセージと預言の時間がもたれました※3

 2日目の午後の「預言の訓練」時のこと、聖会には交流のある他教会からの出席者もいたため、初対面の方も多くいました。その中で、「2人づつ組になり、それぞれ、心に浮かんできた言葉を言い合いなさい。」と言われ、組を変えた訓練が何回かなされていきました。これには、戸惑いを覚えました。聖書に書かれている預言者は、人の罪を治めるためによく遣わされていたので、仮に、何か浮かんだとして、初対面の相手に軽々しく言えるものなのだろうか、また、言ったとして、そのことが当たっていたとしても、内容によって相手は素直に「そうです」と言えないのではないだろうか、と。しかし、異議を言う人はうるちゃんを含めて誰もいず、素直に訓練に従い、A牧師や出席した幾人かは、とても興奮し、すっかり、預言のとりことなっていったようでした(その後、預言を受けに通いだす人たち、「祈っていたら、このような幻を見ました。『私はひとり雲の上にいました。イエスさまがいました。主は私にあなたに預言の賜物を与えると言われたのです。ハレルヤ!』」と集会の中で「預言」を始める人、左の耳から「主が言われます。『あなた方は、もっとわたしらの賜物を求めなさい。わたしはもっと与えたいのです』」と実際に主が語る声が聞こえ始めたと言って「預言」をする人たちが出始めました)。うるちゃんも、よい預言を受けていたこともあり、不思議に思っていても、受ける側についての懸念事項はありましたが、主からの賜物だということに疑いを持っていませんでした。
                                                         ※ この部分についてのコメント

 このような流れの中で、うるちゃんは、受けた預言が気になりつつも、「平安を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、ほんとうに主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」(エレミヤ 28:9)「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」(Ⅰテモテ6:6)という主の言葉を信じて委ねることにし、A教会を後にしたのです。(※3の夏期聖会での預言の中の「あなたの教会の中で・・・用いる」という言葉が主のものだったら、出ることは逆らうことになるのだろうか、しかし、だとしても「あなたの教会」=A教会とは限らない、この意味するところがA教会なのだとしたら、語った神が責任をもっていつの日か和解へと導いてくださるはずだ!という結論に至ったのでした。)

 うるちゃんに語られた預言は、励まされるものでしたが、「平安を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、ほんとうに主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」(エレミヤ28:9)とあり、聖書にも書いてない個人的な事柄であるため、鵜呑みせずに、心にとめておくことにしました。

 A教会を後にした数日後、Leeさんから、ファックスが届きました。
「I knew your hardness in church. At that time Holy spirit makes me pray for you.
Mrs. Uruchan ! I worry about hart and I pray for you now.
God knows everything. You had better depend on God. Mrs. Uruchan !
God, I, and your friend love you.

I pray for you every day, Mrs. Uruchan!
“You are very important person in the kingdom of God. You are the woman of pray.
If you pray for the kingdom of God, that kingdom will be broad, world-wide.
You have the responsibility to save Japanese. A lot of soul is waiting for you, your devotion, and your prayer. God loves you very much.”」

 上記でふれたうるちゃんになされた3つの預言を、下記に記します。

※1 1995年10月1日夕拝時のS師からうるちゃんへの預言
「聖霊があなたがたのうちに現れて下さいます。あなたの生活のうちに、すばらしい大きな祝福が、主の臨在が与えられます。あなたの心は柔らかくて、そして本当に美しいものです。わたしにとって尊いものとして、わたしはあなたを用います。わたしのために戦う勇士として、わたしはあなたを任命します。その喜びの武器をあなたに与えます。主にある喜びを持って、わたしのために進みなさい。どのような務めをあなたが持つかわからないのですが、あなたは主の前に笑う者となっていくでしょう。そしてあなたの内側に、あなたの体に癒しが、癒しの何かが、今起こるでしょう。あなたの感情的なもの、霊的なものの中に完全なる癒しが成就するでしょう。そして、この時期において、新しい息を、風をあなたに送ります。わたしの姉妹よ、あなたの内にある優しい心に言います。悪しきものに対して、また悪しきものの偽りに対して、あなたは立ち向かうのです。あなたに与えた愛は、多くの人達を愛するものとなるのです。あなたがどんなに神様に愛されているのか、また人々に、兄弟姉妹達に愛されているのか、あなたが見えるようにあなたの目をわたしが触れて開こうとします。わたしはあなたに新しい力を与えるのです。自分を弱いと言ってはならない。あなたは強いと言いなさい。わたしの娘よ、あなたは強い者です。あなたは強い者です。あなたは強い者です。あなたは強くなりました。そして神の家で、あなたは喜び踊る者となるでしょう。主の前に、喜びの旗を振るものとなるでしょう。あなたがたの子供達のうちに、わたしの喜びが至るでしょう。あなたにとって、大きな将来を約束します。どうか、下を見ないでわたしを見上げて歩みなさい。あなたの上に大きな喜びが与えられるでしょう。」

※2 1996年1月7日礼拝の中でのS.S女史からうるちゃん夫婦への預言
「わたしはあなたがたに必要な物すべて与える神です。あなたがたの手をわたしに伸べなさい。そうすれば、わたしはあなたがたを満たします。あなたはちょうどあの少年のように、2匹の魚と5つのパンを持ってきましたけれども、それを増し加えます。あなたがたのいる状況の中の制約をわたしは切り取ります。芽が地面から飛び出てくるように、あなたがたをします。そして霊の実をあなたがたは食べるようになるでしょう。霊の人となるようにあなたを整えて解放しましょう、奥さん。あなたは少女のように閉じこもっていたかもしれない。わたしがあなたの中で、内側の働きをしているのを誰も認めてくれなかったかもしれませんが、多くの人たちは、神のすばらしさをあなたの中に見ています。家庭の中でわたしはあなたがたの中で働いています。わたしの真理をあなたの子供たちにも教えます。そして、霊によってあなたがたは妻として、夫として一体とされています。夫婦としてのことをあなたがたに教えます。あなたがたは夫婦として主のことを教えるようになります。そしてややこしいものを簡単に教えるようになります。そして主の軍勢を持ち出します。そして若い人たちにも、主の導きが出来るようになるでしょう。あなたがたに新しい召命を今、与えます。新しい霊の働きができるように。」

※3 1996年8月17日夏期聖会の中でのS師からうるちゃん夫婦への預言
「主よ、どうぞこの夫婦を祝福してください。あなたがた2人の中には、主に対する本当に深い愛情があります。主は云われます。あなたの心は柔らかくて、本当に建て直しやすい。他の人たちもそれを見て感動します。あなたは新しいドアをオープンする者となります。あなたがいるところに本当に主を礼拝する霊がやってきます。あなたが入っていって、その部屋の中に人がいて、その人たちが礼拝したくなくても、あなたが主に応答するその手を見て、手を上げてあなたを見て、人々は泣き始めるでしょう。そしてその礼拝の油注ぎをあなたの上にきます。そのことによって他の人たちの心が開いていきます。あなたの教会でわたしは新しいことをしていることを見なさい。あなたの教会の中でわたしは誰であるかという新しいその認識を与えています。そういう動きの流れの中で、あなたはまっただ中にいて用いられる人たちとなります。我が息子よ、聞きなさい。あなたをリーダーにします。あなたは簡単なこと小さなことを忠実にしてきた方です。主はあなたを高めます。あなたに賜物もきます。知識の言葉をもって、あなたはみわざをしていくでしょう。また信仰の賜物、また病人のために祈ることができる。我が娘よ、聞きなさい。あなたはこのチームとしてあなたの御主人と一緒になった。そして、あなたにはカウンセリングの知恵を与えます。我が娘よ、聞きなさい。あなたは人の魂に対する愛をもって、多くの人たちがキリストに寄せられて行きます。そして我が息子よ、聞きなさい。あなたは安定というその言葉が見えます。そしてあなたがたはチームとして働くようになるでしょう。あなたがたは夫婦として、人々が聞かなくてはいけない言葉を聞くでしょう。あなたの奥さんはあなたに向かって“いや、そうではない”と言うかもしれませんけれども、わたしが与えた言葉は正しい言葉ですから自信をもっていきなさい。我が娘よ、あなたの御主人も本当にあわれみをもった方です。あなたがあわれみを現していくその現し方と、御主人の現し方は少し違います。我が娘よ、聞きなさい。わたしは今、あなたの心を強くしています。あなたの心は優しくて、聖いものです。しかし傷つきやすい心でもある。あなたの心に、テフロンのようなもの、わたしのテフロンを加工します。ですからあんまり人からの傷を受けないようにします。ですからそれはすべてなくなってしまう。そしてわたしが愛するように、人々をあなたは愛することができる。ですから、敵の攻撃に負けないようにしなさい。敵の攻撃は必ず失敗する。イエス様の御名によってこの家庭を祝福してください。」

 このような預言もあり、牧師の気持ちも少し理解できた2ヶ月後(1997年2月17日)、年下の信徒の身で、行き過ぎた面もあったかもしれないと思い、とにかくそのことだけは謝っておこうと祈ったことがあった。が、人間的に動かずに、祈って決めることにした。すると、「今、謝ってしまったら、相手側は、悔い改めることに気付くことすらなくなってしまいます。謝るのにも時があります。まだ、相手が自分の原因に気付こうともしていないときは、まだ時ではないのです。その時も主にゆだねて待つのです。忍耐がいりますが…。」と心に響いてきた声に従って、時を待つことにしたのです。

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【参考】CVSAブログ「預言について」

  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)



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Friday, July 17, 2020

「小羊うるちゃん物語」part 5-5 A教会を後に

  【Part5の登場人物】
     うるちゃん : 主人公
     へいわくん : 夫
     なごみちゃん: 長女
     サイエン君 : 長男
     はづきさん : 友人
     友人Nさん : なごみちゃんの幼稚園のママ友
     友人Iさん  : A教会で出会った友人
     Gさん   : エホバの証人に入ったばかりの女性
     Tさん   : バプテスト教会の知人女性
     S牧師   : A教会に来た同盟教団の牧師
     K宣教師  : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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 もはや、なすすべもなく、心に大きな傷を負ったうるちゃんは、祈った末に、マタイ10:24~26「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。・・・だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。」ルカ6:39、40「いったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。ふたりとも穴に落ち込まないでしょうか。弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。」のみことばをいただきました。uruchanそれで、「A牧師の言動により、うるちゃんの心が苦々しい思いや、批判の思い、不従順な思いにとらわれることになりませんように。主イエス様がわたしの心の思いを見て、間違いがあったなら、正してくださいますように。それから、今後の礼拝の場を、圧迫なく、霊とまことの礼拝をできる場を与えてくださいますように。」と切に祈りました。すると、B教会の地域での集会(とある会館の会議室を借りておられた)に導かれたのでした。

 全く異なる教派のようで、迷いもありましたが、B教会で聞いたメッセージでの信仰の面での熱心さに打たれました。命をかけてもつらぬく信仰、迫害の時にも共に労苦していける(信頼関係が結べる)兄弟姉妹のいる教会、それがうるちゃんの願いでした。

 年が明けて、初めて、本教会のある区に行ってみました。いろいろな違いに多少の戸惑いを覚えましたが、メッセージの最後に年輩のB主任牧師が、子供時代に父親が戦時中の迫害にあって投獄された話をされました。その迫害の話がうるちゃんの祈った祈りに合致したのでした。B主任牧師は、ペンテコステ派の信仰が嫌いでしたが、とりあえず、行き場のないうるちゃんを、受け入れてくださいました。

 このB教会を知ったのは、「羊を奪う者の手から、羊を守ることになる。」という思いをいただいた10月18日(金)、はづきさんの家庭集会に行く途中でした。信号待ちが長かったため、気分的にいつも通らない道を通ったのでした。あるところで、何気なく奥の方に並んでいる看板が見たくなり見ると、“キリスト”の文字が飛び込んできたのでした。「今、何か見えたような…」と思い、自転車でしたが、戻って見直してみると集会の案内でした。「へー、教会が新しく出来たんだ。」とうれしくなって、家庭集会に集った人たちに言ったことを覚えています。後でわかったことですが、その会館では、10月に集会を開いたばかりで、うるちゃんが見たその日に看板を出したということでした。

 教会を出る時、いろいろな葛藤がありました。牧師に逆らうと、死んだ人もいるとメッセージの中で実例で聞いていたことや、ヘブル 13:17「あなたたちの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。」もさんざん聞き続けてきた結果でした。A教会を出てしばらくは、教えの混乱があり、心の傷もあって、癒されたと自覚するまで、一年半かかりました。違和感ある教えは半分本気で聞いていなかったつもりだったのですが、混乱が起こったので、軽いマインド・コントロールにかかっていたと言っても過言ではないと思っています。

 B教会の礼拝から帰ってくると、韓国旅行(10月にはづきさんと謝罪個人旅行に行っていました)で知り合ったLeeさん(宣教師夫人でオーストラリアに行かれた)から小包と手紙が届いていました。何も言わないのに、うるちゃんたちと別れて(10月14日)からずっと、A教会とA牧師のことについて祈ってくれていたことを知りました。それから4日後に家庭集会で「羊を奪う者の手から、羊を守ることにもなる」という言葉を受け取り、それから2か月で教会にいられなくなったことを考えると、起こるべくして起こった主のみわざなのかなと思いました。贈り物と手紙に慰められ、主はいろいろな方法で、愛する子供たちを慰め、励ましてくださるんだなと改めて思いました。
国境を越えた主の働きと祈りの一致…
                                                 ※ 下線部の記事

 救われてから、家で家庭集会を月に一回していました。A牧師夫人に「集会を続けていたら、人は集まるものよ。」と励まされながら、続けていました。救われてから3年間の間で、引っ越しが2回。3つの家で集会を持ったわけですが、どういうわけか人が集まりかけると、引っ越しになるのでした。次第に食事の準備など負担になり、家庭集会を開く前に、下地を作り、人脈を作ることが先決だと思えてきたのです。家庭集会といって構える前に、気楽な気持ちで交わりから作って行きたいと思い、ちょうど、仕事が忙しくなってきたことから、しばらく、やめたいと申し出ました。婦人会に、小さな子供を連れて行きにくい風潮もあり、なかなか出られなくなったことと重なって、A牧師には、奉仕不足、不従順と取られていたこともA牧師の言葉で知りました。

 A教会にいられなくなる1年前から、みことばを学びたくて、神学校へ行きたいという思いが与えられました。子供がいて、制限があるので、夜間の時間は割けないことから、通信の学びにしようと思いました。以前から神学校へ行きたいという人が出ても、A牧師自身が一人の宣教師からマンツーマンの教育を受けていたため、A牧師から許可がもらえず、教会を去ったり、あきらめたりしている人が多いことは聞いていました。うるちゃんは、たまたま家族でA牧師と共に食事する機会が与えられて、その時に相談すると、軽く「いいよ。」と言ってくださっていました。へいわくんが、「1年待ってその情熱がまだあればやってみたら。」と言うので、1年待ったのです。講解書を読み終わるのも1年後くらいなのでちょうど良いと思っていました。1年たった今、仕事も来て、神学校の金銭的必要も満たされそうになっていたところの今回の出来事でした。このことがあって、A牧師に「礼拝のメッセージだけで神学校はいらないという人もいるんだ。」と言い渡され、牧師の推薦がないため、道が閉ざされてしまったのでした。今は、道が開けるように祈るしかありませんでした。主には不可能はないことを信じ…。

 1月7日(火)、うるちゃんの住まいの近くのB教会の家庭集会(Bハイツの家庭)に初めて集いました。賛美の時、「何か、大きな傷を受けた羊がイエス様のひざもとにきて慰めを受けている。」ような幻が見えました。映像で見えたのは2度目でした(1度目についてはまたいつか)は。それがあなただと心に響いてきました。 Ansoku正月に帰省先の大阪の教会で見た絵が同時に思い起こされました。それは、崖に落ち傷を受けた一匹の羊を羊飼いが助けている絵でした。その絵の続きのような幻でした。メッセージは主の安息のメッセージでした。あまりの的確さに(まだ何も相談してはいなかったのですが)驚きとともに、傷が癒されていくのが感じられました。異言を受け入れていない教派にもこのような霊的な(預言的なメッセージを語る)信仰があることを知りました。越してきてから、あることが示されて、ずっと近所のBハイツ周辺のことについて祈っていたのです。今、Bハイツに導かれたのも偶然ではないような気がしました。

 先は見えませんが、一歩一歩、主と共に歩んでいくだけです。
救われて間もなく与えられたみことば、「キリストが分割されたのですか。あなたは人や教会につくのではなくイエス・キリストにつくのです。(Ⅰコリント1章)」に励まされながら。

 A教会を出て、2ヶ月たった2月、未信者の時から9年間仲良くして、うるちゃんにイエス・キリストを紹介してくれたはづきさんと別れることになりました。うるちゃんはB教会の家庭集会に来ていたB1牧師(主任牧師の息子の牧師)に相談することにして、時間を予約していました。そのことをはづきさんに話していたのですが、はづきさんは、うるちゃんの気持ちがわからなかったのか、先に話をしようとうるちゃんとの約束より少し早くB1牧師を訪ねたのです。はづきさんはうるちゃんのためを思ってお世話のつもりだったのかもしれません。B1牧師の信用をも無くしてしまいそうな行為に、余裕がないうるちゃんは距離をあけたく「来ないで!」と強くいってしまいました。その後、はづきさんはA牧師に謝ってA教会に戻りました。教会を離れられなかった彼女は、うるちゃんとの付き合いができなくなりました。また、うるちゃんは、A教会で出来た友人をも次々に、失ってしまうことになったのです。

 A教会での交わり(ともに食事をしたり、家庭に招き合ったり、集いを持ったり)は、すごく楽しく、刺激があるものでした。国内外からのメッセンジャーも多く来訪し、オープンな教会でした。だからこそ、一生の兄弟姉妹のつながりだと信じていて、多少のおかしさは、完全な人間はいないという言い訳をのみ、必ず祈りで変わっていくと信じていたのです。この交わりを失うことは、とてもつらいことで、「みこころならばいつか、再び、主が戻してくださる」と委ねて、後にしたのでした。そう思ったのは、教会で個人的になされた預言があったからということもありました。
                                                 ※ 下線部についてのコメント

うるちゃんが受けた預言とは?   つづく・・・

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  【うるちゃんと教会】
  ★ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)



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Wednesday, July 08, 2020

「小羊うるちゃん物語」part 5-4 和解への試み

  【Part5の登場人物】
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     友人Nさん  : なごみちゃんの幼稚園のママ友
     友人Iさん   : A教会で出会った友人
     Gさん    : エホバの証人に入ったばかりの女性
     Tさん    : バプテスト教会の知人女性
     S牧師    : A教会に来た同盟教団の牧師

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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 エホバの証人のGさんの3度目の訪問で(結局、やめることもできず、とりあえず、はづきさんと一緒に会うことにしたのでした)、Gさんと一緒に来た女性は、なんとギリシャ語聖書を持ってこられました。ギリシャ語の訳は同じでした。こちらにも、既に備えがあったことは主の助けだったと思います(J-ばいぶる2ndがあったので、訳は何とかなりました)。

 ギリシャ語の原文で、準備時に作った資料で知った矛盾点を突くと、そのエホバの証人さんはしばらく黙った後に言いました。「訪問伝道しているとき、出会った男性のことです。子供が2人いて、奥さんとは別れて子供を引き取っておられました。その子供たちがプロテスタントの教会学校へ行っていた関係から、お父さんに聖書をプレゼントしたのです。お父さんが聖書を3回読んだところで、私たちが訪問したのですが、『聖書にエホバという語は出てきませんが、なぜ、あなたがたはエホバを名乗るのですか?』と聞かれました。それではと私たちは聖書から学びを始めました。けれども、3ヶ月後、突然、その方の目が痛み出して、そのまま入院。末期ガンで亡くなられました。でも王国の良いたよりは伝えたのです。」と言われました。それを言ったエホバの証人さんは、自分たちの証のつもりでしたが、うるちゃんは、「羊を奪う者の手から、羊を守る」という言葉を思い出して、いたたまれなくなりました。父子家庭で父親を亡くした子供たちはどうなったのか、聞いたところ、母親のところへ行ったようだと言われました。

 この訪問で、相手の思想の何かが変わったかと言えば、何も変えられませんでした。しかし、うるちゃんには、A牧師に相談後に帰宅して祈った時に、下記のみことばも受け取っていたので、自分は間違ったことはしていない確認がありました。
Ⅰテモテ 2:4 「神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」
使徒 10:28 「神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。」

 その後、A教会へは、日曜礼拝をかねた市民会館でのクリスマス時期の伝道集会のためのケーキ作りの奉仕があったので、行きました。その後は、暮れと正月にかかったので、へいわくんの実家の近くのA教団のW教会で、なんとか礼拝は守ることが出来ました。W教会に行ったのは、タイミングよく、へいわくんの母が「こういうチラシが入っていたよ」とW教会のチラシを見せてくれたからでした。
                                                 ※ 下線部についてのコメント

 年が明けましたが、痛む心をどうして良いかわからないでいました。聖書を読んでいると、マタイ18章15節が目につき、調べると「もし、あなたの兄弟があなたに罪を犯したら、行って、あなたと彼の間だけで<ひそかに>、彼に彼のあやまちを示しなさい。もし彼があなたに聞けば、あなたはあなたの兄弟を取り戻したのである。」(詳訳聖書)とあったので、このみことばに沿って、手紙を直接、手渡すことにしました(「もう来るな!」と言われていたことと、「でも」という口癖がまた出ても逆効果だと思ったので手紙にしました)。「批判ととられたら、悲しいのですが」とかなり気をくばって書いて、A牧師に手渡しました。後日すぐに、手紙が一枚送られてきましたが、問題にはふれず、何かの集まりのことが書かれていて、何を書いているのか、うるちゃんにはよくわからず、よそよそしく感じられるものでした。

 それで、続く16節のみことば、「しかし、もし彼が聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。」の通り、一緒にかかわったはづきさん(12月19日には報告することを避けたのですが、今度は同意してくれました)、と共に教会に出向きました。しかし、はづきさんがA牧師の機嫌を取るように話した言葉に、うるちゃんはムッとしてしまったため、A牧師にあしらわれてしまい、かえって、傷を深くしただけでした。前回、出した手紙はと言えば、「僕は、読まなかったよ。妻に読むように渡したら、読む前に、『この手紙には悪霊がついてますから、追い出します。』と言って追い出していたよ。そんな手紙を読む必要もない。」と言われ、読んでももらえなかったことがわかりました。A牧師夫人に聞くと、「私には、悪霊を叱りつける賜物があるから、わかったんです。」と、言われました。「手紙に、悪霊がついていたのなら、うる本人には、もっとすごいものがついているでしょう。追い出してください。」と言うと、「もういません。私が追い出しましたから。」と言われ、ものすごく納得がいかない思いが残りました。

 ますます、どうしてよいのかわからないので、つづく17節を見ました。「それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。」と書かれてありました。単立のため、他に牧師はいませんでした。A牧師をマンツーマンで教えたK宣教師夫妻が、ちょうど近くに来ることと、その時に泊まる予定だった家が泊めることができなくなり、ちょうど泊まるところを捜しているとのことをはづきさんから聞きました。そのはづきさんの手配で、K宣教師夫人との連絡がとれました。電話をくださったK宣教師夫人に「ちょっと、A牧師との問題がありまして、聞いてくださればうれしいのですが。ちょうど、へいわくんが出張に行くので、よろしかったら、泊められる部屋がありますが。」と言ってみました。「後で連絡します。」と言われたのですが、その連絡が来る前に、A牧師から電話があり、「○○さん(K宣教師)は、あなたの誘いなどにのる人ではないんだ。夫は出張中ですから、泊まりに来てくださいと、あなたは誘いかけたそうではないか。彼は、私との古いつきあいで、ツーカーなんだよ。」と言われたのでした。また、教会の信徒のOさんから、「うるちゃんさんは、『エホバの証人の教会へ行った。』とA牧師が言っていたけれども、本当なの?」と心配の電話がありました。よく聞いてみると、早天祈祷会の集まりで、言われたとのことでした。

外部に聞かせたくないようなことが起こりましたが、うるちゃんはこれからどうなるのでしょうか?!   つづく・・・

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  【うるちゃんと教会】
  ★ へいわくんの実家近くのA教団のW教会
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)



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Friday, July 03, 2020

「小羊うるちゃん物語」part 5-3 報告

  【Part5の登場人物】
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     友人Nさん  : なごみちゃんの幼稚園のママ友
     友人Iさん   : A教会で出会った友人
     Gさん    : エホバの証人に入ったばかりの女性
     Tさん    : バプテスト教会の知人女性
     S牧師    : A教会に来た同盟教団の牧師

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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 はづきさんと一緒に、エホバの証人のGさんとの交わりを2回持つ間に、途中、聖書のギリシャ語版も手に入りました。聖書が違うので原典から話をするのが良いと思えました。ギリシャ語版を調べることによって、学びが深められました。3回目の訪問を控え、「エホバの証人と何回か話し合いの場を設ける時は、必ず教会と連絡をとり、牧師の承認と指導のもとに行うことです。」というエホバの証人対応の専門家の言葉に従って、A牧師のもとへ報告に行きました。面と向かってエホバの証人のことだと言えば、会ってもらえないのはわかっていたので、気を遣って「教理の確認」と言って会ったのでした。1996年12月19日(木)のことでした。はづきさんは、面倒を避けるため、A牧師への報告をいやがり、A牧師にうるちゃんのことをくれぐれもよろしくと言って帰ってしまいました。A牧師とうるちゃんと幼いサイエンくんだけが残されました。

「明日、エホバの証人さんが、来ることになっていて、証ししたいので、資料を見てもらえませんか?」言い終わらないうちに、激しいことばが返ってきたのです。「何の話かと思えば、また、そんな話か!」(厚さ5センチくらいになったワープロの資料を見て、)「こんなものまで、作って…」

 この時、いくつかのみことばも言われたのですが、何が起こったのか理解できず、真っ白になった頭には全く入ってこず、「家で、よく考えますので、書きとめさせてください。」と答えるのが精一杯でした(ショックのため結局書き留めることもできなかったのですが、「あなたたちの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。(ヘブル 13:17) 」「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。」(使徒の働き 17:26)を根拠に「神が境界線を定めたのだから教会を越えて他に言ってはいけない」と言われたことは覚えていました)。だんだんと会話しているうちに、頭が痛くなって、ぼーっとしてきました。涙が流れてきました。そのようなうるちゃんを見て、A牧師は、「子供の前で泣くんじゃない!」と言い放ちました。「サイエンくんでしたら、平気です。うるちゃんの泣くのはよく見ていますから。(祈りで泣いているのをいつも近くにいて見て育っていた)」と答えながら、まだ、自分が何かまずいことをしたのかどうかが理解できずにいました。

 何でそんなにA牧師が逆上するのかうるちゃんにはわかりませんでした。何でそんなに怒るのかもわかりませんでした。何でそのようにまで言われるのかもわかりませんでした。

uruchan 「指導者に服従せよ。」も、自分がみことば不足なのもよく分かっている上で始めたことでした。みことば不足だから、一所懸命調べたのです。「エホバの証人が強力な悪霊によるもの」というA牧師が主張する考えも知らないわけではありませんでした。でも大野キリスト教会の文書と、心に響いた声が迫ってくるのでした。姑さんが、エホバの証人の誘いを断れず、困っている友人Nさんの相談も受けていました。お姉さんがエホバの証人になり、困っているクリスチャンの友人Iさんの相談も受けたことがあります。昔、危うく、エホバの証人になりかかったクリスチャンのはづきさんもいるのです。やめます、とも言えず、ただ泣くことしかできませんでした。

 だまって泣いているうるちゃんに、A牧師はとどめのように言いました。「あなたの相談はいつもそのようなことだ(前の住まいに住んでいた頃、周囲の態度に悩み、初めて、牧師に相談したことがありました。その時、『そのようなことで悩むなんて・・・。世の中には、もっと大きな悩みがあるんだよ。あなたのそのような悩みは、5年もすれば、なぜ、あのときは悩んだんだろうと、解決しているものだよ。』と一笑に伏され、教会にはカウンセラーの賜物を持った人が必要だ、カウンセリングはきっと、賜物なのだ、イエス様に頼るしかないと思ったことがあったのでした。6年たってこれをまとめている今も、当時の周囲の問題は大変だったと回想しています)。そもそも、『でも』ということばが反抗的なんだ(『でも』というのは、いろいろなことを細かく想定し分析する情報処理職のうるちゃんの悪い口癖かもしれない)。もう私の所に(相談に?)来ないでくれ!」 「誰のところに話をすればいいのでしょうか?」と問ううるちゃんに、「小グループのリーダーでもだれでもいるだろう? とにかく、もう来ないように。……。」ということばが返って来ました。真っ白になった頭の中、なぜここに証人がいないのか、なぜ幼い子供とうるちゃんしかいないのか、録音していたら何がいけなかったのかを確認できるのに。証人がいないことが悲しく思われました。「牧師」ということで信頼していたので、起こったことが信じられませんでした。何かの間違いであったらと思いました。

 何があっても、主が植えてくださった教会だと思い(そう教えられていました)、3年間を過ごし、永遠のコイノニアなる付き合いの続く関係だと信じ、心を尽くして毎日祈ってきた教会でした。「もう私のところに来るな!」そのことばがある限り、もはや行くことが出来ませんでした(指導者に徹底的に従う決意をしていたので)。S牧師との祈りの時のみことばを思い出していました。現在、本当に除名になりかかっていました。

 「あなたたちの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。」「主が植えられた教会から勝手に、出て行くとのろいを受けた人がいて、中には命を失った人もいる。」「主が植えられた教会を出ると、イエス様の傘から出ることになる。」そのように教わっていたので、どうしたらいいのか真剣に祈ったところ、「指導者が、神に罪を犯すような結果を招くようなことを勧めたり強要する場合は、ヘブル 13:17の限りではない。」と心の声の主が語られたのです。

 帰宅中、頭痛と共に、熱まで出てきたので、「主のみこころからはずれているのでしたら、このまま熱をさげないでくださいますように。みこころならば、頭痛も熱も、明日の朝まで下げてくださいますように。」そう祈って眠りにつきました。半ばもう面倒だし、やめたくなってきていたので(うるちゃんが間違っていましたと謝るなら、まだとどまれるはずでした。実際はづきさんはそうしてとどまりました)、熱で寝ていたほうが楽だと思ってもいました。次の朝、面倒なことに、熱も頭痛もとれて、何故か気分は爽快でした。

 ついでにウィリアム・ウッド師の文書を見たことから始まったことなので、電話で、「エホバの証人への伝道は、賜物ですか。」と尋ねてみました。賜物でもないのにやろうとするうるが、悪かったのかどうか確かめたかったのです。「エホバの証人への伝道は、賜物ではない。エホバの証人への認識の差です。」という答えが返ってきたのでした。

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)



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Wednesday, July 01, 2020

「小羊うるちゃん物語」part 5-2 今までの経験

  【Part5の登場人物】
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     友人Nさん  : なごみちゃんの幼稚園のママ友
     友人Iさん   : A教会で出会った友人
     Gさん    : エホバの証人に入ったばかりの女性

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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 救われて間もなく、今のうるちゃんにできることをと思い、近所へのトラクト配付の思いが与えられました。1000枚位はまきたいと思い、教会に実費での印刷をさせてもらえるようお願いした時でした(教会作成のトラクトで、婦人会ではよく配布していたものです)。枚数のことで、ちょっとしたトラブルがありました。100枚か200枚にするようにという教会側ともめたことがありました。理由はわかりませんが、話し合って理解してもらい、1000枚ということで無事解決しました。

kinsi 神奈川県内の教会で作成した「進入禁止」のエホバの証人防止トラクトをまきたいと言ったときにも、これはよくないというA牧師側と見方の食い違いがありました。これも祈って、数日後急にA牧師が意見を翻し、解決しました。

 A教会がある地域で開かれていた羽鳥明牧師の家庭集会に行った時のことです。あることから集会に行っているバプテスト教会のTさんと知り合って、行ってみました。決して有名な先生だからというようなミーハー的な思いからではありませんでした。はづきさんも行っていたので、牧師に無断で行くことが悪いことだとは思わなかったのです。A教会に開拓伝道の知らせに来た同盟教団のS牧師の駅前伝道の手伝いをしようとした時もA牧師との戦いがありました。両方とも、悪いこととは思わなかったのですが、A牧師の意見は「他には行かないように!」というものでした。そう言われた時、叱られて窮地にたったうるちゃんが、真剣に祈った時、心に響いてきたみことばがありました。「あなたの同意なしに何一つすまいと思いました。(ピレモン14)」でした。何か主のみこころがあるのかと思い、これからは、すべてを牧師の同意を得てからしようと決意しました。A牧師が「他には行かないように!」といった際に繰り返し言った「あなたたちの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。(ヘブル 13:17) 」も、うるちゃんは自分でも納得した上で従いました。この時の痛みから、A牧師との関係に平安を失う状態になったこともありました。が、祈りと満たしで解放を得ていました。うるちゃんが悩んでいる時、A教会に相談しても「気にしないことですよ。」とかわされることが多くあり、キリストを思い泣いて帰らない時がないくらいでした。

 このような3年間を通っていたうるちゃんではありましたが、A牧師のことや教会のことを祈っていた(「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」(Ⅰテモテ 2:1-3)のみことばの実践)ある日、イエス様が、ご自身の愛を送りこんでくださったのです。A牧師の言動に傷ついたある朝、聖霊様が強く満たしてくださり、その愛を送ってくださったのです。なんと表現してよいのか、まさしく天からの賜物といえるようなあたたかいものでした。その満たしの後、ものすごく、A牧師に会いたくなったものでした(教会に行ったところ不在でした)。イエス様のA牧師への愛だと思いました。だから、これらのことは、必要な学びであったと心から感謝できたのです。

 以前から、A教会の少なくはない数のクリスチャンが同じようなことでつまずき、出ていっているのを聞き、また、見たこともあったのでしたが、つまずく方に問題があるという言い分を信じていました。その中に、状態が悪くなっている方もいましたが相手の問題のように処理されていました。しかし、自ら経験して知ったことがありました。はたして、救われたての赤ん坊やよちよち歩きの幼子がつまずくのと、つまずきの石を足元に置くのとどちらがいけないのだろうと不思議に思います。

 以前、伝道を手伝おうとしたS牧師との祈りで(はづきさんが、うるちゃんの家に連れてきて、3人で祈りを持ったのです)、「人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは 幸いです。その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。(ルカ 6:22~23)」のみことばが心に響きました。響いてきたときは、かつて礼拝を守りたくて引っ越しとなった際のような未信者との戦いがまたあるのかと思ったのですが、戦いがあった相手は、信頼していたA牧師でした。このときS牧師と祈り会をしたことをA牧師に叱られ、そのみことばはサタンの声だと言われました。S牧師は公に教会に来て、開拓伝道の協力を依頼されたので、そのS牧師と祈ることが、いけないことだとは全く思わなかったのです。この時、除名一歩手前になったのですが、不従順を謝って従ったのでした。それから、サタンからのみことばだと言われたうるちゃんに混乱が始まりました。一体、心に響いてくる思いは何なのか。イエス様を求めて、祈りで語られて、それでも、それがサタンだったのかと。イエス様に「あなたのみこころが知りたい。」と切に願って、はたしてイエス様の赦しの中で、サタンの声を聞かせるのだろうか? 示される罪はすべて、既に悔い改め、十字架につけたつもりでした。もちろん、それでも、完全になるわけではないことを知っていました。うるちゃんのイエス様は、子供がパンを求めているのに石をくれるようなお方でもないし、魚を求めているのに、蛇をくれるような方でもないのだと思い、また、語られたことの多くが実現していることを思いだし、うるちゃんは語りかけの主を信じることにして、平安を取り戻しました。

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)



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Tuesday, June 30, 2020

「小羊うるちゃん物語」part 5-1 気付きのきっかけ

  【Part4までの登場人物】
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     N師     : はづきさんを導いた女性
     H牧師    : H教会の牧師
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     Kさん    : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
     友人Nさん  : なごみちゃんの幼稚園のママ友

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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 ある日、「エホバの証人をキリストへ」の働きをしておられる大野キリスト教会の文書を読んで、目を開かれる思いがしました。その抜粋をあげると・・・。

 ベバリィは、若い頃、献身して宣教師になりたいと願っていた。しかし主のご計画は異なり、彼女は結婚に導かれ、主婦として子供を育てるようになった。ある日の夕方、エホバの証人が彼女の家を尋ねて来た。彼女はしばらく話しているうちに、エホバの証人に証詞したいという思いが与えられた。
 具体的にどうしたらよいのか。何も分らなかった彼女は、アドバイスを求めて牧師の所へ行った。牧師はⅡヨハネの手紙 7~11 節の聖句を開いた。そして、「『エホバの証人』はこの箇所の『キリストの教えのうちにとどまらない者』である。彼らを家に入れてはいけないし、話をしてもいけない」と忠告した。牧師からそう言われ、彼女は帰宅した。だが、エホバの証人に対する救霊の重荷は大きくなるばかりだった。牧師の助言にも満足できなかった。彼女は牧師が開いた聖句をもう一度考えてみた。すると一つのことに気づいた。Ⅱヨハネの手紙において言及されている人は、『一度は真のキリスト教信仰に入ったが、その後背教してしまった人』のことではないか。一方、自分を訪問してくれたエホバの証人は、これまで一度も本当の福音を聞いたことがなかった人である。従って背教者と呼ぶことは間違っているのではないか。すると、このみ言葉を、私を訪問してくれたあのエホバの証人に当てはめることは正しいとは言えないのではないか。彼女もまた、真の福音を聞く必要があり、本当の救いにあずかるチャンスが提供されるべきではないか。そのような確信が与えられたので、彼女はエホバの証人伝道に献身した。その結果、彼女をとおして多くのエホバの証人がキリストの福音に導かれるようになったのである。

 これを目にしたうるちゃんは、心揺さぶられ、アーメンだと思いました。

 ある日、うるちゃんの家にやってきた若いエホバの証人の方を、自分がみことばも不十分だからと思い、「忙しいから」と、丁重に断りました。断った途端、自分の愛のなさと、他人の目を気にかけ心の中で異端であるエホバの証人を嫌っている自分に気付かされました。「今があの人の、真の福音を聞く一つのチャンスでもあった。」という追いかけたくなる程の思いがやって来て、後悔したのです。
エホバの証人の方だからといって、心で嫌い神の愛を伝えないことは、罪だと思いました。(信仰によって無視するよりも、異邦人であっても、真の福音を知らない人に伝えることのほうがみこころにかなうことだと思いました。)

 1996年10月18日(金)、はづきさんの家での家庭集会中、イエス様に心を向けると、次のような思いが心にわきました。救われてから3年弱の頃でした。

「肉から出たことは霊に反します。他の人が水をさすようなことがあっても、それが、愛からのことばでないなら、あなたは与えられた信仰を守りなさい。その言葉があなたををさげすみ、中傷するような言葉であっても、動揺してはなりません。『私は罪人であり、さげすまれ非難中傷されるに値する者』それがイエス・キリストに従う者の道です。エホバの証人の方々をも愛しなさい。わたしはその人たちを愛し、その人たちのためにも血を流し、罪を贖ったのです。切り捨てることが愛ではありません。以前からのウィリアム・ウッド師や中川啓介師の本やビデオでの学び、救いを受ける前にエホバの証人の学びを8ヶ月したというはづきさんが、あなたをイエス様に導いたということも、友人Iさんのお姉さんがエホバの証人になり困っていることや、友人Nさんのおばあさんがエホバの証人の誘いを受けていることも、偶然に起こったことではありません。あなたの家に、最近、急にエホバの証人がひんぱんに訪れるのも偶然ではなく、今日のビデオの学びも偶然ではないのです(家庭集会でビデオが上映されたのだが、そこで交わされる会話に「そうではない!」と悲しみが湧き上がってきて何か隔たりを感じたことを覚えている)。すべては神の御手のもとになされていることです。あなたが立ち上がる時です。あなたがたが立ち上がる時です。そのための知識の備えを与えます。まとめて準備しなさい。それがエホバの証人や異なる教えに足を踏み入れようとする方々にとっても光となるのです。それが羊を奪う者の手から、羊を守ることにもなるのです。」
                                                 ※ 下線部についてのコメント

 以前、うるちゃんの心に語られるこのような思いが、時によってサタンからであるとA牧師から言われたことがあり(神からだと言われることのほうが多かったのだが、気まぐれのようにサタンと言うことがあった)、たびたび否定してはみました。しかし、今までこの思いに従ってきて、多くのことが実現しているのです。反対に、イエス様の愛がよくわかるようになってくるこのような言葉がA牧師がいうところのサタンの欺きだとしたら、一体、何を信じればよいというのかわからなくなってくる。この思いに従ってきて、救いの道へ入れられたのですから。聖書も、うるちゃんの救いもひっくり返ってしまいそうになります。

 どのように準備すればよいのかと思いましたが、偶然に導かれるままに、新世界訳聖書(はづきさんが持っていたエホバの証人の聖書)の巻末にある「話し合いのための聖書の話題」をまとめました。書かれてあるみことばの箇所を「新世界訳」「新改訳」「英語(NKJ)」の三つを抜き出して表にしていくだけの単純作業でしたが、エホバの証人がどのように変えられたみことばでどういった教えを受けて訪問してくるのかが濃縮されていて、理解を深める作業となったのです。当時は、文書の作成はワープロでの作業でした。膨大な量で、途中で「何のためにこんな労力を使っているのか?」とやめたくなることもありましたが、その都度心に励ましを受け、1ヶ月以上かかりましたが、完成させました。

 この作業を始めた3日目、自転車に乗っている時、何もない道で、何か風のような、クモの巣のようなものが、目にからみついてきました(眼鏡をかけていたにもかかわらず、眼鏡を飛び越してからみついてきたような感じだった)。瞬間、目がとても痛くなり、開けていられなくなったのです。すぐに確かめたのですが、クモの巣はありませんでした。クモの巣でないことを確認したと同時に、「ワープロをもう続けるな! 続けると、目が見えなくなるぞ!」というおどしのような声が心に響いてきました。一瞬混乱しましたが、聖書のとおりイエスの御名で追い出すと、目の痛みも消えたのでした。もうやめようかな? と思いましたが、それが敵の手だと思えたので、作業を続けました。目はそれ以来、疲れることすらありませんでした。資料が完成して、どうやってコピーしようかと思案した時(コンビニで1枚1枚手差しで指しかえるには、膨大な作業になるからです)、へいわくんの知っている所に、オートフィーダー機能のついたコピー機があるのを思い出しました。相談したところ、すぐにやってくれました。ところが、へいわくんは、コピーして帰宅するやいなや、熱に倒れ、5日間寝込んだのです。(結婚してからもこの後も、このようなことはありませんでした。)       完成した資料

 はづきさんが、真の福音にまだふれていない、必要のあるエホバの証人を送ってくださるようにと、祈っていたら、ある女性Gさんに出会いました。そのGさんは日本の一般家庭同様、仏教を家の宗教としていたのですが、ある日、エホバの証人の訪問を受け、子育ての悩みなど、ひとつひとつ丁寧に説明されたことから、これが真理だと思い、入信したそうでした。はづきさんから相談を受けたので、祈りながら、はづきさんと一緒にGさんとの交わりを2回もった後、ウィリアム・ウッド師の「目覚めの時」の裏表紙が目にはいったのでした。「エホバの証人と何回か話し合いの場を設ける時は、必ず教会と連絡をとり、牧師の承認と指導のもとに行うことです。」と書いてありました。気にはなっていたことでしたが、A牧師に相談した結果は今までの経験上、わかっていたので、後回しにしていたことでした。

うるちゃんのいう今までの経験とは何だったのでしょうか?!   つづく・・・

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)



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Tuesday, June 23, 2020

「小羊うるちゃん物語」part 4-3 イエスさまとの旅路

  【Part4の登場人物】
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     友人Nさん  : なごみちゃんの幼稚園のママ友

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

※ 今回の物語には、救われたての幼い信仰ゆえの単純な行動が記されています。寛容な視点で読んでくださいますように!

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 ある信仰書を読んだある日、改めてきちんと過去の罪を告白しようと思い、帰ってきたへいわくんと共に悔い改めの祈りをしました。2つばかり抜けを思い出したので、翌日も祈り合いました。その翌日も2つばかり抜けを思い出したので、同様にしました。
3日目の夜、へいわくんが床についたとき天井に3人の幼児が現れました。木陰から顔を覗かせていたそうです。「イエスの御名によって、悪霊よ、去れ!」と言ったら消えたそうでした。一瞬のことだといいますが、はっきり見えたそうでした。幻か、悪霊か、そのどちらでないにしても、何で幼児なのか不思議でした。この3日間、2人とも子供のことについて特に考えてもいませんでしたから。
付け加えておきますが、へいわくんもうるちゃんも、幻覚や幻聴、また幽霊の類を見たり聞いたりしたことは、まったくありませんでした。

 その頃、うるちゃんの引っ越した家は預言通り、平安に満ちていて不満はなかったものの、なごみちゃんとサイエンくんが通っていた幼稚園の送迎バスが来ない地域のために、片道3600メートルある山道を、なごみちゃんとサイエンくんを自転車に乗せて幼稚園に通うことになったのでした。何日も経つと、そのような状況に疲れを覚えはじめました。何故このことだけがうまくいってないのかと…。というのは、お迎えにいく“その時間だけ”ねらってでもいるかのように、雨に降られるということが何日も続いたからでした。前後の時間は晴れていたり曇っていたりと降っていないのですが、待ち構えていたかのように、それも小雨などではなく、道が川になるほどの大雨でした。祈っても雨に降られつづけ、ある時などは、すごい集中豪雨と雷にあいました。

 幼稚園の友人のNさんなどは「最近、お迎えの時になると雨に降られるわ。」とこぼしていたほどでした。9月22日(木)その日もお迎えが近づいた頃、雨が降り出しました。雨にうんざりしながらもイエス様がついていてくださっていると思い、感謝しながら迎えに行きました。友人のNさんの家で雨が上がるのを待って帰りました。昼頃から何となく頭が痛く、悪寒が走っていたのですが、夜、とうとう熱を出してしまいました。次の日から、ベニー・ヒンの聖会のために大阪の実家へ、また、田舎で家を新築した際の建前の時に神主さんにお払いされた柱を除くために、田舎へ行く予定をたてていた矢先の出来事でしたので(先日、偶像礼拝の罪を告白していた時から、柱を家から除きたいと思っていたのです)、妨げだと思いました。日頃、あまり風邪をひかず、熱を出しても一晩眠れば治っていたので、あまり心配はしていませんでした。幼稚園のお迎えのために連日、雨に打たれたせいもあり、この幼稚園へ通い続けるのはみこころではないことなのかと思い、「主よ、幼稚園の送り迎えに毎日合計約14キロ(3600メートル×4)の道のりを行くのだけでも大変なのに、祈っても祈っても、お迎え時に雨に降られ続けるのは、なぜですか? うるは病に倒れ、もう通い続ける自信がありません。」と涙ながらに祈りました。すると聖書のある箇所が示されたのです。エズラ記10章9節を見よという思いがくるのでした。その個所には、「それは、第九の月の二十日であった。こうして、すべての民は神の宮の前の広場にすわり、このことと大雨のために震えていた。… … だから今、あなたがたの父祖の神、主に告白して、その御旨にかなったことをしなさい。この地の民と、外国の女から離れなさい。」(エズラ記10章9節・11節)と書かれていました。この日は、9月22日でした(2日のずれがありますが、偶然とは思えないほどはっきり書かれている個所でした)。幼稚園は引っ越す前(御陵の参道沿いの住まい)にいた町にありました。親しんでいた幼稚園に固執している自分に気付かされました。

 翌日の朝、ふらつきはするけれども、熱は下がっていたので、予定通り大阪へと向かいました。すると午後、再び熱が出て、動く気力も無くなってきてしまいました。大阪のへいわくんの実家に着くやいなや、布団に直行。しゃべる気力も無く、起き上がると気持ちが悪く、頭や喉も痛み、最悪の状態でした。翌日になって、熱は下がっても、起き上がれない状態は同じでした。「医者は好きではないけれども、明日の聖会へは行きたい。注射一本でも打ってもらって早く治そう。」と思い、這うようにして(車だったが)、近くのクリニックへ行きました。診察室へ入り、うるちゃんの状態と肌と白目が黄色いのを見た医者は、「これは、大変ですよ。肝炎のようです。風邪のように見えますが黄疸が出ています。動けない程でしょう。旅行なんてもってのほかです。今日、明日は、安静に寝ていることです。出掛けるなんてとんでもない。1週間で死ぬこともあるのです。入院しなければならなくなるかもしれません。早くて1ケ月で治るでしょう。とりあえず、大きな病院へ行くことです。救急車を呼びましょう。」と言われたのでした。うるちゃんは、幼稚園のお迎えによる疲れからきたものだと思っていたのでしたが、「この病気は疲れからくるものではない。」と言われました。しかし、医者のことばは、うるちゃんにとって悪い冗談としか思えませんでした。

 救急車の中で考えることは、明日の聖会のことばかり。「何とかして入院だけは避けたい。もし入院ということになったら、医者をどうやって説得するか。あ~、でも起き上がれないし…。へいわくんだけにでも行ってもらって、集会のビデオを買ってきてもらおうか…。いっそのことタンカに乗ってでも行けないかなぁ…。明日は聖会だというのに何で寝てなければいけないのか?? ベニー・ヒンが悪霊による惑わしだとでも言うのであればともかく、絶対、行けるはずだ!」

 総合病院へ着くと、検査と点滴を受けた。検査の結果、「白血球は乱れていますが、はっきりしたことはまだわかりません。月曜日(その日は土曜日で休日だった。)にならないと、医者がいず、精密検査が出来ないので、とりあえず帰って月曜日まで安静にしていてください。容体が変わったら来てください。」とのことでした。「やった! 入院は免れた。明日は行けるに違いない。でも、今日の明日で、はたして本当に起き上がれるかな…」と思いつつ、そのような状態で聖会当日を迎えました。A教会の人たちの祈りにもささえられ、朝、賛美し、ベニー・ヒンの本を読んでいる時のことでした。祈りつつ数ページを読んだところで、何かが体に働いたような感覚が起こりました。体に震えと熱い何かが走り、瞬間に、具合が良くなったのです。癒されたと確信して、起きてみました。普段の調子に戻っていたのです。ハレルヤ!
                                                         ※ この部分についてのコメント

 車で、聖会会場へ行きました。昨日までの状態が状態だったので、不安もありました。聖会中、熱が出始めました(体温計を持参していました)。でも昨日までとは異なり具合は良いのです。聖会が終わり、家に帰る頃は熱も下がり、完全に癒されていました。

 家に帰り、途中で倒れているのではないかと、心配していたへいわくんの両親は、突然、元気になったうるちゃんを見て驚いていました。

 いろいろあったにもかかわらず、予定通りに田舎の柱も持ち帰り、処分することができました。この柱を簡単に持ち帰ることが出来たのも、うるちゃんがイエス様を知る前から、主が関与していてくださったおかげだと思います。通常、建前の柱は、家の床の間の支柱に組み込まれるとのことでした(地域的な風習かもしれませんが)。うるちゃん達が家を建てたニュータウンのまわりの他の家ではやはり、家の柱となっていました。うるちゃん達の家だけが忘れられていたのでした(不動産屋さん談)。当時は縁起でもないと立腹して苦情を言ったものでした(今では感謝になりました)。家が建った後ではどうしようもないので家の床の間の屋根裏に入れてあったものでした。うるちゃんたちが越した後は、家は、人に貸していたのですが、1年もたたないのに、この連休中に出ていかれたのでした。まるで、主が、柱を取って来ることが出来るように段取りを付けてくださったようでした。 

信仰の赤ちゃんだったうるちゃんが訓練され、ついにA教会にいられなくなることが起こります。Par5につづく・・・

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【参考】様々なメッセンジャーについて~小羊うるちゃん物語へのコメント~(2020.5.14)

  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)



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Monday, June 22, 2020

「小羊うるちゃん物語」part 4-2 礼拝への思いに対する主からの応答

  【Part4の登場人物】   うるちゃん  : 主人公
              へいわくん  : 夫
              なごみちゃん : 長女
              サイエン君  : 長男
              はづきさん  : 友人
              A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

※ 今回の物語には、教会の礼拝時の「預言」「会衆預言」が出てきます。ペンテコステ系単立教会においては、時に礼拝の中でなされることがあります。一般のオーソドックスな多くの教会ではなされていませんが、寛容な視点でお読みください。
また、幼い信仰ゆえの単純な行動もが記されています。これもまた、寛容な視点で読んでくださいますように!

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 ある日、うるちゃんの中に、ある思いが浮かんできました。それは、会社にシャ宅を移してもらうように手紙を出す、という思いでした。でも、そのようなことは、へいわくんに迷惑がかかるのでするべきではない、とも思いました。会社に言うのならばへいわくんが直接…、と思い、へいわくんにもそう伝えていました。そう思いながらも、手紙を出せばうまくいくような気がしてなりませんでした。それで、主に聞いてみようと思いました。プールへ行こうとしていたある日、近くのプールが滅多にない休みで行けなかったせいもあり、こう言ってみたのです。「隣の市のプールがもし、休みで入れなかった場合は、手紙を出しません。入れた場合は、手紙をすぐに出します。」と。初めて行くプールでした。行ってみるとなぜか休みでした(定休日ではない)。出せないとなると、出したくなるもので、もう一回、今度は逆に、「またその隣の市のプールへ、なんらかの理由で入れなかった場合は、手紙を出します。そのプールまでの道がわかりませんが、スムーズに行けた場合は、手紙を出しません。」と言ってみました。そう言った途端、道案内が出たり、適当に行った道があっていたりして、迷わずにプールまで着いたのでした。広い公園内にあるプールで、うるちゃんたちが行った時間だと、まず通常は駐車場が満車のはずでした。しかし、待たずに停められたのです。そして、広い公園内で迷うようなところ、一組の家族連れが道案内するように先導し、一時間に一本の送迎バスにも、ぎりぎりで乗れたのです。ここまでスムーズに行くと、無視するわけにはいかないように思え、手紙は自分の心から出たことかとあきらめました。
                                                         ※ ここでの行為を振り返ったコメント

 そのような状態の中、A教会で毎年開催している夏期聖会を迎えました。その聖会はエドウィン・ソーサというプエルトリコから来た預言者を招いての集会でした。その一回目の集会でうるちゃんは名指しで次のような個人預言を受けました。「もうこれ以上苦しむ“必要はありません”。あなたの重荷をわたしは今受け取りました。もう涙を流す“必要はありません”。わたしはあなたの助け主であります。今まで閉ざされていたドアを今開きます。あなたの必要をよく知っています。そしてあなたの必要を満たす神であります。あなたに力を与えます。」と。
 そして、手紙を出したいけれど出すべきではないような気もするし…、というジレンマの中、東京福音クルセードも終わりました。その翌日、次のようなみことばが心に示されたのです。「私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。私の言うこと以上のことをしてくださるあなたであると、知っているからです。それにまた、私の宿の用意もしておいてください。」(ピレモンへの手紙21節・22節)

 早速、会社に手紙を出しました。すると、数日後、総務部長から直接うるちゃんに電話がかかってきたのです。会って話がしたいと。うるちゃんは、まわりの人にも祈ってもらいつつ、総務部長に会いに行きました。すると驚いたことに、もう引っ越し先の家が準備されていたのです。会いたいというのは下見のためでした。その家は、引っ越す前に故郷に購入した持ち家と同じような間取りの一戸建てでした。気になるのは費用のほうでした。しかし、そのことも整えられていたのです。引っ越し費用は会社負担、しかもシャ宅費も本来なら高くなるところ会社が面倒をみてくれることになったのです。さらに、ガレージ付なので駐車場代がかからなくなるという、おまけ付でした。
一戸建てのシャ宅は数がなく、しかも自己理由にもかかわらず、費用は会社がもってくれるということは、例がないことで、全くの奇跡でした。
  ハレルヤ!

 教会の近くに行きたかったこと(用意されたシャ宅もまた、遠い地域にあった)と話がうますぎる(教会の近くではなかったこと以外、すべて祈った通りの家であった)ことから、本当にこのシャ宅へ行くべきなのか迷ったのですが、条件などから、他に行くところがないことがわかりました。

 それでも、交通が激しく、暗い所のように思われたので(後で、別の道があることや決して暗い所ではないということがわかった)、「うるは、教会の近くに行きたかったのですが、ここがうるの行くべき地なのですか?」と主に尋ねてみました。すると、「あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木の下といちじくの木の下に招き合うであろう。」(ゼカリヤ書3章10節)と心に示されたのでした。

 さらにうるちゃんは、引っ越しするときに、信仰への誤解を避けるために、トラクトと証しを、今までいたシャ宅の住人に配っていこう、という思いを持っていました。でもそれは、圧力をかける行動をとっていた中心人物をも含んでいるので、「そのことを成せるように、主よ、力をお貸しください。うるを励まして下さい。」と祈りました。すると、翌日の8月28日の礼拝でのA牧師夫人の会衆預言が再び心にふれてきたのです。「わたしの愛する息子よ。わたしの愛する娘よ。あなたは、わたしの血によってあがないとられた尊いわたしの子です。あなたは、わたしの愛の御手の中に今あります。それゆえ、あなたは恐れてはなりません。わたしはあなたの側にいます。…。心配してはなりません。わたしはあなたに声をかけてあなたのすばらしいわたしの願っている門を開きます。あなたはわたしの宝。恐れないでただ歩んでいらっしゃい。そこは、“希望と喜びと平安の中”です。あなたは、わたしの働き人としてあなたが歩むためにあがないとられたのです。だからあなたはわたしの力をいただきなさい。わたしは今、わたしの力をあなたの内側に今与えます。」というものでした。さらに、「彼らは、わたしのものとなる。…。わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。あなたがたは再び、正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者との違いを見るようになる。」(マラキ書3章17節・18節)というみことばが心に示されました。その預言とみことばに勇気づけられ、証しのトラクトを持って、挨拶に出向きました。すると1名を除くすべての人が快く受け取ってくれたのでした。その1名は、あの圧力をかける行動をとった人でした。

 後でわかったことですが、うるちゃんが手紙を出した時期は、ちょうど、地方からの転勤者の苦情についての組合の動きに合致していたのでした。本人からの苦情には会社も慣れていたようでしたが、奥さんからの申し出というのが、この時はかえって良かったようでした。次の掃除の日の二週間前にうるちゃんたち家族は、引っ越したのです。掃除中のシャ宅の住人たちの見ている中、会社の制服を着た人たちの手によって、引越しがなされたのでした。

 引っ越し先の周囲はというと、びっくりするほど穏やかな交わりを持ってくださる方ばかりで、預言通り、そこで、過ごした1年半は、希望と喜びと平安に満ちていました。恵み深き主に感謝します。

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【参考】CVSAブログ「預言について」

  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)



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Monday, June 15, 2020

「小羊うるちゃん物語」part 4-1 イエス様と共に

  【前回までの登場人物】
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     N師     : はづきさんを導いた女性
     H牧師    : H教会の牧師
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     Kさん    : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

※ 今回の物語には、教会の礼拝時の「預言」「会衆預言」が出てきます。ペンテコステ系単立教会においては、時に礼拝の中でなされることがあります。一般のオーソドックスな多くの教会ではなされていませんが、寛容な視点でお読みください。

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 救われた当時、うるちゃんの住んでいた所はシャ宅で、御陵の参道沿いにありました。その頃のうるちゃんは、シャ宅の人たちの不可解な態度に、悩みを覚えていました。その地区は、古くからのしきたりがあって、数年前に入居したシャ宅の人たちは、なじめずに不満をかかえていたため、周囲に対しても冷たくなっていたのですが、越してきたばかりのうるちゃんには、わかりませんでした。

 なごみちゃんが生まれた頃に住んでいたシャ宅で隣に住んでいた人が、越してきてみると、また隣に住んでいました。このことも単なる偶然ではなく、神の計画があってのことのように思われました。その人の態度のあまりの変貌ぶりに、これはまわりの影響(環境のため)かもしれないと思いました。それで、うるちゃんは断食をして祈ってみよう、と思ったのです。

 たやすく断食できる人もいますが、うるちゃんにとっては違いました。幼い時のうるちゃんは、偏食・小食の子供であまり食べられず、空腹によりうずくまるほどの腹痛をおこしたり、吐いてしまったりしていたものでした。そのような記憶があるため無理をせずにまず、一日の断食から始めようと思いました。一人ではくじけるかもしれないと思ったので、教会で行なう日を選びました。その日は、へいわくんは出張中で、食事作りも子供たちだけの簡単なもので済ませることができるため、ちょうど良いと思われました。幼稚園の役員会の昼食もぐっとがまんして、子供たちの食事を横目に、なんとか朝・昼・晩とのりこえました。が、子供たちをお風呂に入れた頃から、目がまわり出したのです。祈るどころではなくなり、早く寝てしまおうと思い、寝ようとしました。ところが、夜1時ごろ、あまりの嘔吐感と頭痛に目が覚めてしまいました。そのうちに、うるちゃんのかつての同僚に一人暮らしの男性クリスチャンがいて、不精をして7日間何も食べないでいたところ、救急車を呼ぶ状態になった、という話を思い出しました。「他の人には数日の断食が出来ても、ひょっとしてうるは、特異体質で(幼い頃は、病気はあまりしなかったのだが、昔のことだったので、痩せているということで虚弱体質と判定されていた)、1日でも出来ないのかもしれない。うるは死んでしまうのかもしれない。そうしたら、子供たちはどうなるのだろう。へいわくんは出張中だし…」という思いが頭をぐるぐるかけめぐりました。「うるは自分では気づかなかった何らかの罪のため、今滅ぼされるのかもしれない」という恐れまで出てきました。結局そういった恐れに負け、朝が来る前に断念してしまいました。

 さて、断食が半ば失敗のように終わったため、その日以来、毎朝毎晩の祈りに身が入らなくなってしまいました。祈りに身が入らない状態が2週間ばかり続いた頃、ある試練がやってきました。

 うるちゃんが住んでいたシャ宅は12世帯が住んでいました。うるちゃんが教会へ行き出した3月から突然、隔月の第2日曜日の10時から約20分間、外回りの掃除をすることになってしまいました。教会へ行き出したばかりのうるちゃんは日曜日は都合が悪くて出来ないので、各家が都合の良い時間にきれいに掃除しておけばいいのでは…と提案したのですが受け入れてはもらえませんでした。それで、3月、5月はまだ教会へ行なっていなかったへいわくんが出て、その後は毎週1回定期的に個人で掃除していました。すると7月の掃除の時のこと、一部の人たちから、「自分たちは用事があっても後回しにしているのに、ずるいわよ。毎回出ないなんて…(まだ、始まって7月で3回目、そのうち、その時間に参加できなかったのは7月の1回だけだったのだが)」と苦情が出たのです。シャ宅の役員の方3名には納得してもらっていたことでした。その苦情を言った人は、その態度から何となくわかったので、祈りながら、その数名が集っているところへ直接、説明に行きました。毎週教会へ行っているため出られないので、今までのように、あらかじめ掃除していくということで納得してもらえないかということを伝えました。その時は、にこやかに「わかりました。でも他の人たちにも聞いてみないと…」という答えが返ってきました。回覧でそのことを皆にも回すように言われたので、何か変だな、と思いながらも、クリスチャンであることを伝えるよい機会だと思い、言われる通りに書いて回しました。すると思ってもみなかったことになったのでした。2、3日後、いつもならばうるちゃんは夕方まで帰宅しないところ、急に腹痛がして昼頃帰宅しました。すると、回覧ノートが戻ってきていて、ドアポストに入っていたのです。腹痛はすぐに治まりましたが、その回覧ノートを読むとうるちゃんに回覧ノートを回すように言った数名を説得するのはほとんど絶望に近いことがわかりました。それは、聖書でイエス様をおとしめようとした人たちが言った内容と同じように感じられたのです。はじめは好意的に9時からにしてもよい、と書いていた人たちが、ある1人の人の口切りから1日で180度意見をくつがえして書き直してきたのです。「うるちゃん一人があらかじめ掃除していくのも、開始時間を9時からにするのも、土曜日にするのもいけない。」、「個人でするのは意味がない。親睦が目的だから(前2回出た時は掃除しただけだったが)。」、「9時からでは、“早過ぎる”。土曜日は夫がいないので、子供をみてもらえない。」、「なんで、一家族のために十家族(直前に一家族が引っ越ししていった)が犠牲にならなければいけないのか。」、「他の用事ならともかく教会へ行くので出来ないというのは、どうしても納得いかない。見たいテレビがあるので出来ないというのと同じだ。」と苦情が出た数人の人からの言葉が書かれていたのです(下線以外はそのままの言葉です)。その日のうちにどうしたらよいか教会へ相談に行きました。

 教会で、祈ってもらい帰宅しました。回覧ノートはその夜、取りに来られ返事を求められたので、あの腹痛は主が家に帰るように仕向けてくださったようなタイミングでした(帰っていなかったとしたら、時間的にどのような内容であったかということが示せなくなっていた)。

 その夜、心に示されたみことばは、「それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。」(ゼカリヤ書9章8節)でした。「この試練は断食の失敗以来祈りに身が入らないうるに、主がくださった試練なのだ。ということは、耐えていれば必ず主が救い出してくださるはずだ。」とうるちゃんは思いました。幸いシャ宅の役員の方々はうるちゃんに好意的で、夏休み後まで結論を保留にして下さいました。夏休みに入るまでの数日間、その人たちは役員の方々に、「掃除の件はどうなったか。」と再三再四、尋ねていたということです。ある人(口を切った中心人物)は、シャ宅の自分の部屋の前に東京福音クルセードのポスターを貼れば、「自分がクリスチャンと間違われるから、現に間違われたから外すように言ってくれ。」と役員の方々に言っていたのでした(直接は、何も言わず、にこにこしているのだが)。

 へいわくんも救われ、洗礼も受け、喜びの中に入れられていた頃のことだったのですが、うるちゃんは、辛抱強くないのかわずか2週間で、このことに関してうんざりしてきたのです。そして、7月24日の礼拝を迎えたのでした。賛美にも身がはいらず、ぼーっとしていると、突然A牧師夫人の会衆預言の言葉が耳に飛び込んできたのです。それは、「わたしがわたしの元にあなたをあがないだした。だから、あなたは恐れずに、あなたの思うことをやりなさい。わたしはあなたと共にいます。」というような内容でした。預言の言葉一つ一つが心にしみてきました。その預言に励まされ、うるちゃんは元気づきました。幸いにもそれから数週間は聖会が続き、主を思い切り賛美する機会が備えられていました。

礼拝に行くという理由から、シャ宅の住人からバッシングを受けたうるちゃんはどうなるか???   つづく・・・

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【参考】CVSAブログ「預言について」

  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)



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