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Monday, January 25, 2021

「小羊うるちゃん物語Ⅲ」part 1-3 周囲をつまずきから守りたかった

  【前回までの登場人物】
    うるちゃん    : 主人公
    へいわくん    : 夫
    マーサさん      : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
    A牧師        : A教会の牧師
    Dチャプレン     : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン
    B1牧師       : B教会の主任牧師の長男である牧師
    C牧師(夫人)   : C教会の牧師(夫人)

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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  C牧師の発案で、礼拝のためのピクニックの計画が持ち上がりました。御岳山に決まりました。御岳山は、普通のハイキングにはよい山ですが、古くから霊峰と崇められた信仰の山なので、C牧師といっしょに行くのには、どうしても平安が得られませんでした。

 教会では、賛美の時も、祈祷会の祈りの時も、環境のためか、礼拝をさえぎるような壁を常に感じていました。ある日、教会で借りているホールのドアに占い教室のビラが張ってあることに気付きました。問い合わせると6月からやっているということでした。6月といえば、何かC牧師や教会に異変を感じた頃でもありました。因果関係を証明することはできませんが、C牧師のメッセージから伝わってくる印象が変わったように感じた頃でした。

 霊の影響かもしれないと思っていたうるちゃんは、それならば祈れば希望があると思い、祈り、忍耐して過ごす道を選んだのでした。
その頃、長女のなごみちゃんの様子が、教会へ行けば、不安定になり、そのため、イライラしてきだしました。

 いろいろ考えた末、うるちゃんは、C牧師の教えを請う場を避けて、日曜の午後の青年会と、水曜の祈祷会と、金曜の伝道に行くことにしたのです。午前の主日礼拝に出ていないわけですから、C牧師に「準教会員でいいですから」というと、「いいえ。教会員ですよ。」と答えられました。

 そう決めて、すべての主日礼拝を家に移したとたん、なごみちゃんのいらいらがうそのようになくなったのでした。

 マーサさんを加え、落ち穂礼拝となった始めの日の朝、サイエンくんが涙ながらの悔い改めをして、本当の意味でイエス様を心に迎えたのでした。洗礼を受けたいというので、C牧師に申し出たところ、快く引き受けてくださいました。洗礼を授ける最初の男性だとも言われ、その時は共に喜んでくださったかのように見えました。C牧師はサイエンくんに洗礼前の勉強会をも施し、日にちも決まりました。洗礼の日の1週間前の金曜日、C牧師の様子が変でした。突然、洗礼の時間を少し遅らせると言われたのです。その言い方に面倒に思っている印象を受けました。こういう状態でこのC牧師に洗礼を授けてもらう状況を考えるとサイエンくんがかわいそうに思えて、うるちゃんは悲しくなりました。洗礼は、人生最大の喜びの日であり、天でも喜びが起こると聞いていたこの日は、共に喜んでくださる人から、喜びの中で受けさせたかったのです。うるちゃんは、夜、涙ながらにイエス様にそのことも打ち明けたのでした。

 すると、次の日の土曜日にC牧師から電話がはいり、10分で済む話なので、日曜に教会へ来てくれるように言われたのです。3時からと言われたのだが、すぐに、C牧師に用事ができて、12時半から1時の30分間で話をしたいと言われて、時間を作って出かけました。

 C教会に行くと、C牧師は「洗礼は喜んでいます。」と言われたので、祈りが聞かれ、わかってくださったのかと思いました。しかし、次に続いたのは、「洗礼をすることに、平安がなくなって夜も眠れなくなり、やめたい。」という言葉だったのです。午前中の礼拝に来ていないので、今、来ている未信者にしめしがつかないということと、責任が持てないとの理由付けでした。礼拝に出たくても出れなくなったことをも、話をして理解を示していたにもかかわらず、心では理解してもらっていなかったのでした。再三再四、繰り返し確認し言っていたのに、です。その度に、「理解します。」と言っていたのにです。それでもサイエンくんをつまずかせるわけにはいかないうるちゃんは、ピリポと宦官の個所を引いて、責任はないのではないかと言いましたが、無駄でした。そのうちに、C牧師の語調も激しくなり、母教会のA教会のことやら、異言のこと、女はただ静かにして黙っているようにということ、家の教会は罪だと、高慢だと言われ、間に立とうとするC牧師夫人も退けられたのでした。もうだめだと自分自身も限界を感じました。このままC教会にいると、子供を含むまわりの人たちが信仰を失ってしまう、と思いました。何より、10分で洗礼の話を済ませようとしているC牧師の信仰が信じられなくなっていました。その日の午前中の家での礼拝で語られたことや、ご臨在がうるちゃんを励ましていたので、そのような場でも信仰によって自分を保っていられたのでした。

 周囲をつまずきから守りたいという思いから、いろいろ回避しようとしてきたうるちゃんでしたが、かえって苦しい学びの道に行くばかりです。「主の道は狭くて険しい! が、それを見つける者には生涯の宝となる。」 by うる

 

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
  ☆ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)
  ☆ カウンセラーの聖会に行った日本基督教団H教会(Ⅱpart 1-6)
  ☆ 韓国人牧師が開拓していたC教会(Ⅱpart 1-6)
  ☆ Y教会関係のTカウンセリングスクール(Ⅲpart 1-1)



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Friday, January 22, 2021

「小羊うるちゃん物語Ⅲ」part 1-2 落ち穂礼拝の始まり

  【前回の登場人物】
    うるちゃん    : 主人公
    へいわくん    : 夫
    マーサさん      : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
    A牧師        : A教会の牧師
    Dチャプレン     : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン
    B1牧師       : B教会の主任牧師の長男である牧師
    C牧師(夫人)   : C教会の牧師(夫人)

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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  ある日、C牧師は、ローマ人の物語(塩野七生著、キリスト教徒ではない)という小説を読まれ、それに大変感銘を受け、教会組織をローマ軍の軍隊のようにすれば良いということを、この本によって開かれたと言われました。大きな教会はみなそうなのだとも言われました。うるちゃんにとっては、上下関係の権威主義としてとらえる組織に教会の堕落があると思っているので、全く相入れない教えでした。

 そして、木曜の集会で、マーサさんが休み、うるちゃんひとりが出席した時、C牧師は黙示録20章から説教をなされたのでした。その時、無千年王国を説かれ、今が千年王国だと言われたのですが、この時、危ない教えだとうるちゃんは実感し出しました。「彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。」(黙示録 20:2,3)この千年王国が今で、サタンはクリスチャンにはあまり働いていないと言われたのでした。聖書をどのように読んだらそうなるのか、話をしてみても平行線でした。罪への理解はどうなっているのだろうとも思えました。

 A教会を出るきっかけとなったエホバの証人の方々と話をした時と似ていました。C牧師は私やマーサさんの意見には取り合わず、一方的に教えようとなさるのでした。後で聞いたのですが、その木曜の朝、マーサさんは、箴言の26章25, 26節が示され、何のことだろうと思っていたそうです。「声を和らげて語りかけても、それを信じるな。その心には七つの忌みきらわれるものがあるから。憎しみは、うまくごまかし隠せても、その悪は集会の中に現われる。」(箴言 26:25, 26) 今ならばわかるのですが、C牧師は、反日教育で受けた日本人に対する言いようのない憎しみと、支配したいという思いを持っておられました。(後の言動による)

 こんなに教えが違っていても、「大丈夫だ。ひとりひとり考えが違うのはあたりまえです。何も問題ありません。私はあなたを愛しますよ。」といつも口にされるC牧師のことばをうるちゃんは信じようとしていました。(牧師という役職にある人たちを信じたいと思っていました)
 C牧師は口では「大丈夫だ」と言われるのでしたが、聖書には書かれていない自分が教えることを重要視していることや、うるちゃんたちが言った重要なことをあまり覚えていないことなどから、うるちゃんは不安になるのでした。

 C牧師との食い違う教えについてどう捉えたらよいのかということを、うるちゃんが主に祈ってみると、「あなたに助言する者が多すぎて、あなたは疲れている。」(イザヤ 47:13)
 「あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、・・その教えは真理であって偽りではありません。・・また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」(Ⅰヨハネ 2:27)
「だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。」(ヨハネ7:17)
というみことばが示されたのでした。

 それでも、うるちゃんは、教会への所属は必要だと思っていたことと、福音を伝える伝道自体はよいことなので、教えに目を留めずにやっていこうと思ったのでした。

 毎週のホームページの原稿にも、葛藤がありました。教えの違いにより、イエス様を曲げたくないと思って、少しばかり、うるちゃんは祈りながらの訂正をし、C牧師には事後承諾を受けながら乗り越えていました。その訂正したメッセージの会報は訪問伝道などで好評を得ていたことを後で知りました。以前よりよくなったとも言われていました。
 ある日、子供の日曜学校で、C牧師が、「私には、今、罪がない。うそも昔はついたが、今はつかない。」とメッセージされたのです。「罪人の意識と人の弱さ」は、どのようにとらえているのかと疑問でした。

 そこで、子供たちに、正しい教えの中にとどまってほしいと思い、うるちゃんは、今までしぶっていた日曜学校の教師も引き受けることにしたのでした。

 そうしているうちに、まず、教えによって、マーサさんの精神的疲れが、限度に達してきました。信仰をなくしそうになると言われ、C教会を去ることにされました。一貫性のない教えに、真理はどうでもよいものなのかという気持ちが出てくるのだと言われていました。教えは、何でもよいとするなら、私たちはB教会を出てから今まで、何のために信仰を貫いてきたのか、と思えて来て、心の状態も悪くなってくるというのでした。

 教会に疲れたマーサさんは、うるちゃんがへいわくんと一年間、続けていた家での礼拝に加わりました。この家での礼拝は、うるちゃんたち家族がB教会へ行けなくなった時、「家で礼拝を持ちなさい。恐れるな。わたしはあなたとともにいる。わたしはあなたを離れず、決して捨てない。」と語られて始めた礼拝で、へいわくんがC教会に来ようとしないので、続けていたものでした。初めの礼拝で、気落ちしているうるちゃんに旧約のある個所を読み合わせた時に(書きとめてなかったので、場所はわからなくなったのですが)、「今、わたしは、あなたがたの縄目を解き、自由に礼拝することを与えた。」と主に語られ、始めた礼拝でした。その時にへいわくんにも同じように語られていたので、継続していました。そして、エレミヤ書6章から、「ぶどうの残りを摘み取れ」とも…。この落ち穂の礼拝ごとに、賛美の中、聖書を読むときに、聖霊様が豊かに働かれ、イエス様がともにいてくださっていることを実感していたため、これまで、他の兄弟姉妹に、どのように言われても、続けることができていたのでした。

 この主を礼拝したい一心で始めた落ち穂礼拝が、この後もずっと続いていくとは、当時のうるちゃんは思ってもみませんでした。この時はただ、家族が安心して落ち着いて信仰を送れる教会が見つかるまで、という気持ちだったのです。

 

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
  ☆ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)
  ☆ カウンセラーの聖会に行った日本基督教団H教会(Ⅱpart 1-6)
  ☆ 韓国人牧師が開拓していたC教会(Ⅱpart 1-6)
  ☆ Y教会関係のTカウンセリングスクール(Ⅲpart 1-1)



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Friday, January 15, 2021

「小羊うるちゃん物語Ⅲ」part 1-1 祈りの応答?!

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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  うるちゃんが救われた時、教会の礼拝出席のことで、シャ宅の住人たちから妨げられるような出来事があった時のことです。
   「小羊うるちゃん物語」part 4-1 イエス様と共に 参照

 そのことで、A教会のA牧師に相談に行ったところ、「そのような悩みなんて、5年もすれば、『なぜ、あの時は、悩んでいたのだろう』とばかばかしくなるものだよ」と帰され、カウンセリングは賜物なのかと思い、結局、自分で祈って解決を見出すしかないのだと納得して帰宅したのでした。その後も、A牧師とはそういうかみあわない場面に遭遇するので、「教会には、カウンセリングの賜物を持った人が必要だ!」と思い、A教会にいる間、人の心がわかるカウンセラーを送ってくださるようにと、よく祈ったものでした。

 そのようなある日、うるちゃんはA牧師の紹介で、米軍基地のカウンセラーでもあるDチャプレンのもとで、夫婦カウンセリングのマニュアル作りのワープロのボランティアをすることになったのです。Dチャプレンと普通の話をしてても、何かかみ合わないような会話に不自然さを感じていました。今、思えば、身についた技術による会話だったようです。

 うるちゃんにとっては、A教会を出た時のA牧師の言動にまつわる傷は、深いものでした。それに追い討ちをかけるように9年来の親しい友をも失ったのですが、カウンセラーだというチャプレンに相談したくても、できない雰囲気がありました。そこで、彼に「カウンセリングに必要なものは愛ですよね。カウセリングは主からの賜物ですよね。」と聞いてみました。「それは、違う。技術があれば誰でもできるものだ。」という答えが返ってきました。カウンセリングが愛に基づかないというのは、その時のうるちゃんにとってはショッキングな答えでした。

 結局、うるちゃんの深い心の傷は、B教会のB1牧師からの、受容と、みことばで一年かかって癒されました。実際、うるちゃんの傷が癒されたのは、技術も知らない若い牧師からの受容とみことばからだったのでした。

 そんな時、あることから、Tカウンセリングスクールのセルフイメージセミナーを知り、自分のセルフイメージをなんとか良くしたいと思い、またあのチャプレンの言っていた技術とはどんなものかを知りたいと思い、受けてみたのです。そして、愛によって技術を用いるカウンセリングにふれたのです。1998年8月のことでした。その学びが、うるちゃんと同じような傷を受けた人の助けになればと願っています。

 「賛美と祈りに満ちた教会。信仰の一致がある教会。牧師と良い交わりが持てる教会。できるなら、日本人ではなく外国人宣教師の指導者のいるところ。そして、向こうからうるちゃんの存在を望んでくださるところ。主の働きができるところ。」そう祈って導かれたC教会に、おそるおそる飛び込んだのでした。1999年2月28日(日)のことでした。

 C教会のC牧師家族は、うるちゃんが住むH市の隣の市に住んでおられたのですが、1998年10月にH市の都営住宅に当選したためH市に引っ越し、近くで教会をと思い、1月に開拓を始められたということでした。10月といえば、マーサさんが異言を伴う聖霊を受けた時でした。そして、1月は、マーサさんがはっきりと、B教会を出た時でした。

 うるちゃんは、C牧師にマーサさんが異言を伴う聖霊を受けたことによってB教会に行けなくなったことを話し、C牧師は聖霊を受けておられるかどうかを尋ねました。C牧師は長老派の信仰で日本のS神学校を出て牧師となった方でしたが、韓国は長老派でも開かれていると聞いてはいたからです。「受けています。癒しも、悪霊を追い出した経験もあります。」と言われました。「異言は語ったことはないが、以前に求めたことがある。が、もらえなかった。しかし、他の賜物は持っていて、聖霊は受けている。」と言われたC牧師のことばを、そのようなこともあるかもねと、うるちゃんは信じたのでした。

 礼拝は、静かなものでしたが、いずれゴスペルソング(讃美の本の題名)の賛美も豊かに取り入れたいと言われたので、柔軟性のある牧師のように感じました。そのうち、ゴスペルソングの賛美も始めるようになりました。マーサさんと2人で、賛美の司会を頼まれたので、選曲とパソコンの奏楽(救われてから、ずっと、曲を入力してためていたものがあった)を始めました。賛美に満ちた教会。賛美は、来た時には、聖歌3曲のみで、ワーシップソングは歌われていなかったのでしたが、始めることになったので、「讃美と祈りに満ちた教会」と祈った祈りの応答だと思いました。

 C牧師は、インターネットで教会のホームページを開いておられ、毎週苦戦してらしたので、インターネットの奉仕も受けました。C牧師は、訪問伝道に力を入れておられたので、それも訓練されたいと思い、時々ついていきました。毎日、山に入り、早朝の祈り、断食の祈りと、多くの時間を祈りに費やしているというC牧師のことばをも信じ、祈りに満ちた教会なのだと思いました。

 C牧師夫妻との交わりは、親しみがありとても良いものでした。人を思いやる心があるように感じられました。「牧師と良い交わりが持てる教会」という祈りの答えだと思いました。歓迎もしてくれた。働きもあった。外国人の宣教師だった。すべて、祈りに答えられているようでした。しかし、一つ、信仰の一致。このことがなかったのです。

 まず、異言の解釈が違いました。外国のことばに限定し、外国に宣教する時に必要なものだという解釈は、いくら議論しても平行線でした。“異言についての見解”なるレポートもどこかに出す予定で書いておられました(根本主義を説くジョン・R・ライス師という方の本にものすごく感銘を受けて、訳したものだと言っておられました)。そこには、ある理由がありました。C牧師によると、「牧師になる前の韓国にいた頃、私は異言の賜物を受けたくて、J教会(韓国では世界一の規模だと言われているのを聞いていた教会)を訪れ、受霊会なるものに参加しました。聖霊を受けよと奉仕者が按手する中、周囲にいた信者が次々に異言を語っていき、奉仕者が私のところに来て手を置きました。私は、自分で意図して他の人が語っている言葉をまねて訳のわからない言葉を発してみました。すると、奉仕者が『おー、あなたは聖霊を受けました。ハレルヤ!』と言ったので、インチキだと知りました。」 何と言ったらよいのか、見分けのできなかった奉仕者の問題か、神聖に求めるべき場で、不正をあばこうとした心の問題か、そこで行われていた行為が何なのか、うるちゃんにはよくわかりません。ただ、聖霊(の賜物)は人間が授ける者ではなく、心から神を求めることによって、神から授かる賜物なので、受ける一人一人の心の問題なのかと思います。

 異言の解釈についての話は、なるべく避けていよう、そのうちわかってくださる時が来るだろうと思い、深追いせずに置いておきました。そのうち、次から次へと、教えを聞く度に違いを知らされたのでした。聖書解釈は、毎回必ずと言っていいほどに、ひっかかる個所が出てくるのでした。C牧師に尋ねると、C牧師とC牧師夫人の解釈も違うので、ひとりひとり違うものだ、問題ないとも言われました。異言の賜物のみならず、霊の9つの賜物の解釈も微妙に違っていました。知恵の賜物も人間の考え出す知恵、知識の賜物も聖書から得る知識、…というようにすべてが、超自然的な神の賜物というより、人間的な解釈となっていました。聖霊様を知ってらっしゃらない、そう思えたのです。

 C牧師は、祈りを深めるための断食の効果を強調されるので、夫であるへいわくんが教会へ来ることを願って40日の朝食の断食をすることにしました。(C教会へは、へいわくんはイースター礼拝に一度来ただけで、家の礼拝を主張し、がんとして教会に来ませんでした。)断食した結果は、体重が3キロ減ったことで、へいわくんに変化はありませんでした。40日目に、主は「時と計画がある」と答えられました。また、夫に従えとも語られたのです。その時、Ⅰペテロ3章1節~6節の個所を示され、詳訳聖書を見るように語られました。そこを読んで、うるちゃんは、自分がどんなに夫に不従順であったかと思い知らされました。主は、みことばをもって、神のみこころの夫婦関係を語ってくださったのでした。(詳訳聖書のそのみことばは、うるちゃんには無理なのでは・・・と思うほど、神によらないと、達成できるような基準ではなかったのです。)

 「同じように、結婚した婦人たちよ、自分の夫に従いなさい〈夫の次の者として、また夫に依存する者として下位に立ち、また夫に自分を順応させなさい〉。それは、たとえ[神の]みことばに従わない夫であっても、議論によってではなく、妻の[敬けんな]生活によって、[信仰者として]獲得されるようになるためです。
 彼らが、あなたがたの持つ[夫への]尊敬と、あなたがたの純潔な〈しとやかな〉ふるまいを見たとき[そのようになるのです。すなわち、あなたがたは、尊敬という言葉が意味するすべての思いを夫に対して持たなければなりません]〈夫を尊敬し、夫に敬意を払い、夫を敬い尊ばなければなりません。[大事にして尊ぶとは]名誉を与え、尊重し《真価を認め、たいせつにし》、また[人間的な意味で]彼を賛嘆することを意味し、[そして、賛嘆するとは、あなたがたの夫を]賞賛し、ほめ、彼に熱中し、彼を深く愛し喜ぶことを意味します〉。
 あなたがたの飾りは、[念入りに]髪を編み〈結び〉、宝石類を身につけ、着物を取り替えるなどという、[単なる]外面の飾りでなく、
 穏やかで平和に満ちた霊という朽ちることのない〈色あせることのない〉魅力を持つ、内的な飾り〈心の[奥深く]隠れた人の持つ美しさ〉でなければなりません。これは[その霊は]〈不安を感じたり、興奮していらいらしたりすることのない霊で〉神のみ前にきわめて価値の高いものです。
 神に望みを置いていた昔の敬けんな女たちも、このように自分の身を飾って〈飾るのを常として〉、その夫に従いました〈夫の次の者として、夫に順応し、依存していました〉。
そのように、サラもアブラハムを主〈主人、指導者権威ある者〉と呼んで〈呼ぶことによって〉彼に服従しました〈彼の指導に従い、自分の上に立つ夫の指導的地位を認めていました〉。あなたがたも正しい事を行ない、何事にもおびえずおくしない〈病的な恐怖に負かされず、不安にかられて気力を失うようなことがない〉ならば、今あなたがたもサラの真の娘たちとなるのです。」

 このみことばを照らされたうるちゃんは、たとえ、神のみこころだという確信があることであっても、妻は、夫を自分の意図することに従わせるのではなく、神のみこころを行なえるように、夫に従い、助け、感情に左右されない魅力をまとうように、祈りつつ努力しなければならないということを知ったのでした。

 C牧師との教えの違いは、聖霊に関することだけかと思っていたら、それも、徐々に明らかにされていきました。カインとアベルの捧げ物の解釈などから、明らかになっていくのでした。「アベルは、親に教えられた通りに、血の捧げ物をしたため、受け入れられたが、カインは、親のいうことを聞かなくて、農作物を捧げたから、受け入れられなかった。」「結婚は、お見合いが一番だ(C牧師はお見合いだった)。自分勝手に結婚する恋愛はいけない。イサクも親の言う通り、リベカと結婚した。」などであった。アベルの捧げ物などは、親が教えたということは書かれていないため、どうしてそう言えるのかと尋ねても、がんとして主張されていました。そういう教えになると、律法的になるのではないかと思えました。

そのうち、教えが、「恵みを得るためには、命令を守ろう」という主旨に基づいているものだということに気付かされました。「孔子、曰く、『……』」とでもいうように、「イエスは言われた、『……』」と伝わってくるのでした。B教会で知った恵みの福音とは違っていました。それでもうるちゃんは、信仰の一致をも祈って与えられた教会なのだから、今から一致をさせてくださるのではないか、と信じていたのです。

 

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  【うるちゃんと教会】
  ★ Y教会関係のTカウンセリングスクール(Ⅲpart 1-1)
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
  ☆ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)
  ☆ カウンセラーの聖会に行った日本基督教団H教会(Ⅱpart 1-6)
  ☆ 韓国人牧師が開拓していたC教会(Ⅱpart 1-6)



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