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Wednesday, October 21, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-6 得られなかった関係

【前回までの登場人物】
   うるちゃん      : 主人公
   なごみちゃん     : 長女
   サイエン君      : 長男
   はづきさん      : 友人
   マーサさん      : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
   A牧師        : A教会の牧師
   Kさん      : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
   K宣教師(夫人)  : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師(夫人)
   W宣教師       : W教会を開拓した宣教師
   B主任牧師(夫人): B教会の主任牧師(夫人)
   B0牧師       : B教会のB主任牧師の父親である先代牧師
   B1牧師       : B教会の主任牧師の長男である牧師
   B2伝道師      : B教会の主任牧師の次男
   M牧師        : B教会の女性牧師
   Eさん        : B教会の信徒の女性
   Dチャプレン     : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン
   Mさん      : トラクト団体で一緒だったクリスチャン女性
   Uさん      : マーサさんの友人の求道中の女性

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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  マーサさんが異言を伴う聖霊を受けた20日後の1998年10月25日(日)、うるちゃんはB教会に異言についての報告をしました。異言は大嫌いだと言っている主任牧師のいるB教会に報告するのはためらわれたのですが、だまっていることに平安がありませんでした。特に信仰の兄弟間では誠実でありたいと思っていました。そんな時、隣の市の日本基督教団H教会でカウンセリングの聖会があることを知り、マーサさんを含む友人3人で出向きました。1998年10月18日(日)のことでした。改革派のカウンセラーの講師Iさんを招いて行われた「よりよい人間関係をつくるために」という主題で行われた集会でした。その時のメッセージで「どんな集団でも、信頼関係やよい交わりを持つためには、報告・連絡・相談が大切です。」と言われたのです。

その時のうるちゃんが記録したメモには、「人間関係は神から与えられたもので、人を変えることは人にはできない。健康な人格が傷つけられることがあるが、愛される時、愛することもできる。言い換えれば、大切に思われていると実感できる時に愛を感じることができる。完全な愛は神によってのみで、神から受けると人に与えられる。愛がわかれば人は嫌々ではなくて、生き生きとした行動になる。愛は、相手がいると自覚できるもので、その相手は自分と感情対応している。愛は、伝える方法にのっとって伝えることが大切。どちらかが我慢している時は、本当の平和はない。違いを認め合っている関係がよい。愛は相手を知ることから始まるので、どんな集団でも、信頼関係やよい交わりを持つためには、報告・連絡・相談が大切。」と記されています。

 教会は愛の根付く共同体なので、当然、「報告・連絡・相談」ができない教会というのは、キリストが主となっていないということになる!と思いました。そこで、うるちゃんはマーサさんと断食して祈り、結果を主に委ねて報告することにしました。報告をしようと決めた日に奉仕に来られたのは、日曜礼拝を担当していた次男のB2伝道師でした。

 その結果は、最悪とも言えるものとなりました。報告をした、それだけで大騒ぎでした。それから起こったことは、細かいところまで、以前の教会を出る時に起こったことの復習をしているかのようでした。人間は、自分の得た知識が強いと、属性の異なる人に対して、排除するための同じような行動を起こし、強い者に同調するものなのだと知りました。うるちゃんは、教会には神の愛が何より大切なのだと痛感しました。配置されている人たち、人が語る言葉、牧師の行動までもが同じだったからです。ただ違っていたのは一度経験済みだったので冷静でいられたことと、聖霊を熟知していない教派のため初めから多少覚悟していたことと、マーサさんという主を愛する姉妹が一緒だったということでした。以前の経験が役にたったわけでした。
                                                 ※ 同調心理について

 その流れを見て、うるちゃんは、われに返った思いがしたのです。私は、ここで何をしているのだろう。どちらも結局同じじゃないか。」 その時、A教会に来た預言者によって三回にわたって、うるちゃんたち夫婦に与えられた預言が頭をよぎったのです。その中で、「…。あなたたち夫婦は、教会の中心となり働く…」ということが語られていたことを思い出しました(「小羊うるちゃん物語part 5-6 預言?」の※3)。どうせ同じなら、A教会の方が良いではないか(母教会であるため)。証明できていない預言をうるちゃんは信じ切っていたわけではなかったのですが、「あの時の預言(?)は本当で、ひょっとしてA教会のことだったのだろうか。戻るのだろうか。」という思いがうるちゃんの心によぎったのです。思わず、友人だったはづきさんに電話していました。電話した結果は、友人だったはづきさんとA教会のA牧師の心を改めて知らされただけとなりました。和解を申し出たのですが、互いの思いは違っていました。また一歩、立ち直れた心地がしました。
どちらかといえば、ペンテコステ系のA教会と、文語聖書を使い古き伝統にこだわり続けるB教会。180度違うような教会なのに、起こったことは同じでした。

 従順が大事なのは、うるちゃんも学ばされてきたことです。しかし、A教会やB教会にあったのは、軍隊的な盲従でした。それを牧師は強いていました(B主任牧師は、マーサさんを説得しようと「あなたも変わったねぇ。女の人は教会では黙していないといけない。信徒で僕に意見する人は誰もいない。牧師が右と言えば、信徒は左だと思っても右だというものだ。」と告げていました※1。)聖書に反すること、主がうるちゃんに語ってくださったことを曲げたくはありませんでした。イエスさまを選ぶか、自分にイエスさまを教えてくれ長年信頼してきた牧師を選ぶか、そういう場面に遭遇した信仰者のつらさは、通った者にしかわからないでしょう。身を切る程に悲しいのです。指導者に従順に従えなくなった時、不要な分裂を避け主の安息にとどまりたいと思っていたうるちゃんには、指導者を変える道しか残っていませんでした。B教会を通り抜けた後には、日本の教会に対しての失望が残りました。

 その後、B教会へは、喜びをいただいて、一度礼拝に出席しました。1998年11月1日(日)の礼拝を最後に、さらなる混乱を避けためか、不要な傷を負わないためか、B教会へは主によって行くことを止められました。礼拝の場を絶たれ、途方に暮れているうるちゃんに、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。決してあなたを見捨てず、また離れない。どこにいても、礼拝できる。夫婦の一致を求めなさい。」と語られました。それで、うるちゃんは、お世話になったB教会に挨拶をして、B教会を去ることにしました(実際に、挨拶することができたのは、B2伝道師とM姉にでしたが)。マーサさんは、異言を語らないことを誓約させられていた教会員のEさん(「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-4 転籍」)と友達でもあり、B主任牧師とそれなりに交流があったので、非難を受けているうるがいなくなれば、二人が協力すれば耳を傾ける時が来るかもしれない、B教会を去れたのはそう思ってのことでもありました。そこで、主に信頼して家で、しばらく家族のみで礼拝することにしたのです。幸い、賛美の環境は整えられていました。三ヶ月が過ぎ、望んでも一緒に祈ることをしなかった夫が、自然に一緒に祈れていることに気付きました。感謝でした。そのころ、マーサさんは、マーサさんで努力をしていましたが、「思い上がるな。」「同じ信徒同士でどうしてこうも違うのか。」「信徒同士は、交わりをもたないのがよい。」とだんだん強力に語られるようになっていく礼拝メッセージが聞けなくなり、また、B主任牧師が周囲に電話で警戒のお触れを出したことで、うるちゃんに対する陰口とののしりの言葉がうずまく様子に、教会にいることの意味がわからなくなり、B教会に行くのをやめられてしまわれました。

 日本の教会に失望したうるちゃんは、気分転換を求めて、ふたたび仕事や趣味を手掛け没頭しました。暇な日がないくらい忙しい日々を過ごしました。教会が与えられたら、頼み込んでも献身したいと思いました。
そんな時、そういう片手間の気持ちでいる限り、教会は与えられないことを告げられました。すべてを3月でやめることにして身辺整理を行いました。すると、すぐにC教会へ導かれました。

 「賛美と祈りに満ちた教会。信仰の一致がある教会。牧師と良い交わりが持てる教会。できるなら、日本人ではなく外国人宣教師のところ。そして、向こうからうるの存在を望んでくださるところ。奉仕できるところ。」今度の教会への希望でした。A教会にいた頃から続けて時々行っていたあるトラクト団体のA姉がなに気なく口にした教会でした。足音を聞いて、戸を開け歓迎してくださったC牧師夫妻は、喜びと輝きに満ちた方に見えました。

 「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」 (詩篇 一篇)

 礼拝で読まれた詩篇は、第一篇でした。B教会を去る時、与えられていたみことばでした。

※1 当時うるちゃんが聴き取った内容の記録です。

【参考】コラム「聖書の訳」

 

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  【うるちゃんと教会】
  ★ カウンセラーの聖会に行った日本基督教団H教会(Ⅱpart 1-6)
  ★ 韓国人牧師が開拓していたC教会(Ⅱpart 1-6)
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
  ☆ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)



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Monday, October 19, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-番外編 へいわくんの父の死を通して

【前回までの登場人物】
   うるちゃん      : 主人公
   なごみちゃん     : 長女
   サイエン君      : 長男
   はづきさん      : 友人
   マーサさん      : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
   A牧師        : A教会の牧師
   Kさん      : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
   K宣教師(夫人)  : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師(夫人)
   W宣教師       : W教会を開拓した宣教師
   B主任牧師(夫人): B教会の主任牧師(夫人)
   B0牧師       : B教会のB主任牧師の父親である先代牧師
   B1牧師       : B教会の主任牧師の長男である牧師
   B2伝道師      : B教会の主任牧師の次男
   M牧師        : B教会の女性牧師
   Eさん        : B教会の信徒の女性
   Dチャプレン     : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン
   Mさん      : トラクト団体で一緒だったクリスチャン女性
   Uさん      : マーサさんの友人の求道中の女性

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

※ 今回の物語には、一般のオーソドックスな多くの教会ではなされていない祈り方が記されていますが、聖書にも記されている祈り方です。寛容な視点でお読みください。

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  1995年10月10日(火)体育の日、へいわくんの父が天に召されました。夏、末期がんの診断がくだされてから、聖人の像やマリアを大事にしている昔からの流れのキリスト教徒であった父母の信仰是正に加えて、癌のいやしを祈りつづけていました。父母は2人暮らしで、近くに親類はいず、母の性格上、1人暮らしは無理だと思いました※補足 。祈り続けていると、「子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。…とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が…。」(マタイ 7:9-11 )の御言葉が与えられました。天の父が悪い結果をくださるはずはないと確信しました。容体は思わしくないのですが、父の癒しを信じていました。

 そんなある晩、床につくと、わけもなく心がざわつき、3匹(?)の悪霊と思われる幻が現れました。向かって右のは、小さくて、丸っこくて、異様に大きくぎらぎらした目でこちらをにらんでいるようでした。左は少し大きく、長くて、やはり大きな目でこちらをにらんでいました。真ん中は、奥の方にいて、姿ははっきりしませんでしたが、気配はしていました。まわりは、暗闇で、イエスの御名によって、去るように命じると、幻は消えました。そして、眠りにつきました。眠ってても熟睡できず、ときどき目が覚めるのです。朝、へいわくんの父母の夢で起こされました。すごく、祈りの必要を感じ、父母のための祈りを捧げました。父の病を知らされてから、うるちゃんはときどき、断続的なわけのわからない腹痛を感じていました。時には2~3日続いていました。幻が現れる晩も、腹痛が起こりだし朝まで続いていました。鈍い痛みなのですが、もしかして、父のために親身に祈ることができるように与えられているのかも…と思っていました。祈っていると、強くご聖霊の臨在を感じ、とめどなく、涙が出てきました。「主よ、この腹痛が、父の痛みであり、いやしてくださるのでしたら、このうるの腹痛を取り去ってください。」と祈ったときのことです。急に体に不思議な働きかけがあり、腹痛は治まりました。何が起こったのか、自分でもわかりませんでしたが、途端にイエスさまの愛に満たされ、平安に包まれました。この日以来、腹痛は起こらなくなりました。
                                                 ※ 下線部についてのコメント

 そのような時、父の危篤の知らせを受け、大阪の父母のもとへ向かいました。ずっと祈っていましたが、いやされないのはなぜなのだろうと思ったとき、以前見た幻を思い出しました。その幻は偶像と関係しているような思いが与えられたので、確かめたところ、実家の祭壇に、3体の像があったのです(後で確認したところ、その時までのうるちゃんは知らなかったのですが、押し入れの中に向かって右にマリア像、左に首から上のイエス像、真ん中の奥には十字架のイエス像があり、仏教の、仏壇の代わりになっていました)※余談1。幻と同じ形状だったので、すぐに、そのための解放ととりなしの祈りを捧げました。神父さんが来ても心を開かなかった父が、へいわくんがイエス様のことについて聞いた時、「イエス様以外の神様は信じる気もないし、イエス様以外の所に行く気もない。」と語ったそうです(父は訳あって、教会から離れていた)。1週間後、へいわくんが一時帰宅するときの父の言葉は、「ごくろうさん。」だったそうです※余談2。それが、へいわくんが聞いた最期の父の言葉となりました。へいわくんが東京へ戻った翌朝、父は天に召されました。朝、痛み止めの注射を打つまで、苦しみもあまりなく、意識もはっきりしているまま、平安のもと天に召されたのでした。

 父が癒されなかったことで、うるちゃんが気落ちしていたところ、ある兄弟は、「天国に行ったのだから、いまはもう、がんからいやされているね」と、言ってくださいました。なぜ、うるが望むような肉のいやしは起こらなかったのか、主は全能なのだから、偶像を取り払えたはずなのに…、という思いもありましたが、この疑問に、主は葬儀後に礼拝に行った実家近くのW教会でのメッセージを通して答えてくださいました。主はロボットの人間を必要とされてはいない。偶像をこわしても人間が、偶像を持つのを望んでいるなら、意味がないと。確かに、今の段階では、父がいやされても、昔からの流れのキリスト教の信仰に戻っただけでしょう。昔からの流れのキリスト教の葬儀に出て、イエス様を信じているのに、目に見える像やマリヤのほうを大事にしている信者さんのための祈りの必要を感じました。マタイ 6:24 には、神とサタンと同時に仕えることはできないとあるからです(「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」)。また、イエスを信じていればどんなイエスでもよいというものではなく、人となってこの世に来られ、十字架にかかられた神であるイエスを信じているならば、罪の重みを知り、神の栄冠を得るために、罪と格闘しながら歩むものだと思いました。

 主は、うるちゃんが望んだようないやしではなかったけれども、父にとって、神の国にとって、最も良い方法をとられたのだと、信じることができます。   ハレルヤ!!

※余談1:3体の霊のような幻は、その後数年に渡る像にまつわる出来事によっても、祭壇の像との関係があることが明らかになっていったのでした。(神ではない霊の話は、焦点が神からそれていくので、割愛します)

※余談2:父が亡くなって初めての礼拝で、A牧師は、へいわくんとの握手のとき、「ごくろうさん」とだけ、言われたそうです。それは、父がへいわくんに最期にかけた言葉と同じ言葉で、たった一言でしたが、感動を覚えたそうです。

補足:父の死の数年後、母は上京せざるを得ない状況になり、20年間にわたって、へいわくん・うるちゃんが近くでサポートしていくことになったのでした。


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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
  ☆ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)



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Thursday, October 15, 2020

「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-5 異言と解き明かし

  【前回までの登場人物】
      うるちゃん      : 主人公
      なごみちゃん     : 長女
      サイエン君      : 長男
      はづきさん      : 友人
      マーサさん      : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
      A牧師        : A教会の牧師
      Kさん      : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
      K宣教師(夫人)  : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師(夫人)
      W宣教師       : W教会を開拓した宣教師
      B主任牧師(夫人): B教会の主任牧師(夫人)
      B0牧師       : B教会のB主任牧師の父親である先代牧師
      B1牧師       : B教会の主任牧師の長男である牧師
      B2伝道師      : B教会の主任牧師の次男
      M牧師        : B教会の女性牧師
      Eさん        : B教会の信徒の女性
      Dチャプレン     : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン

「小羊うるちゃん物語」閲覧にあたっての注意事項

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  B教会では、主任牧師の長男のB1牧師のメッセージは素晴らしかったのですが、そのB1牧師も1年を機に本教会に戻られました。B1牧師がなぜ、支部教会に来なくなったのかわかりませんが、後ほど幾人かから聞いた話では、この時すでに主任牧師は自分によく似た次男のB2伝道師を後継にしようと考えていたということでした。

 癒されたうるちゃんは、次第に飢え渇いてきました。B教会にいることの限界を感じ出していました。うるちゃんにとってイエス様のことをしていることが喜びであったからです。属している限りにおいて、所属の指導者に従順に従うつもりでした。「何もしないでただ祈れ。証しや伝道は自己満足になりやすい。祈るだけだ。祈れば自然に成っていく。」証しすることも、奉仕することも許されませんでした。次第に無気力になって、早くイエス様のもとに行きたいと思うばかりでした。傷は癒えたのですが、行ない(証しをすることなど)と霊的賜物の否定のため、だんだん無気力になっていったのです。消えたいと無気力でむなしい状態が半年程続いたので、趣味に目を向けてみました。だんだんと祈ることも心が入らず、形式的になっていきがちになりました。
                                                 ※ 下線部についてのコメント

 「これではいけない。」と思い、聖霊に満たされているクリスチャンたちとの祈りを求めて、導かれたままに(あるトラクト団体で一緒にボランティアをしていたバプテスト教会のMさんの紹介)、自転車で15分ほどのJ教会の早天祈祷会へ行きだしたのでした。1998年8月のことでした。ただただ元気を取り戻したいという思いでした。主は、うるちゃんの祈りたいという思いに応えてくださり、あらゆることでこの祈祷会の出席を支えてくださいました。8月~10月までの3か月間、毎日通い続けました。

 早朝のため、韓国のクリスチャンが数人と紹介してくれたMさんとの数名の祈祷会でしたが、3ヶ月間イエス様を見上げて祈りこむことができました。その間、自分に語られることの確信を得たいと、主に問い祈りました。この間、異言で祈り、みこころを求め、自分に与えられた語りかけが主からのものであるか、異言の解き明かしをも求めていました。そして、10月始めのことでした。あるはっきりとした確信が与えられたのは…。その日、うるちゃんと祈りの時を持ったマーサさんが聖霊に満たされたのです。ハレルヤ。(B主任牧師の許可をもらって、地域にいる信徒の祈り会を週に1回もつことにしていました。)日本語で祈り、マーサさんの友人で求道中のUさんのことを共に祈っていた時、聖霊様が強く働かれたのでした。人と一緒に祈るため、異言は声に出さず口の中だけにとどめていたのですが、聖霊に満たされているうるちゃんの手を取って、マーサさんはその手を自分の頭に持っていったのでした。その場で聖霊様はマーサさんをも異言を伴い満たしてくださったのです。

 うるちゃんは、与えられた思いのまま(マーサさんの恐れについての異言の解き明かしでした)を口に出していっただけでした。その場で、主はうるちゃんに語りかけの確信を与えてくださったのでした。解き明かしを口にした時に、マーサさんは異言を伴う満たしを受けたのでした。この異言とともに与えられた思いが異言の解き明かしでもあるとうるちゃんは思いました。うるちゃんの心への語りかけは異言とともにあることが多かったからです。1998年10月5日(月)のことでした。

 それから、毎日のようにマーサさんと共に祈る時をもちました。その頃のマーサさんは、友人で求道中のUさんを気にかけておられました。Uさんは、イエスさまを神と信じてはいましたが、うるちゃんがB教会に来た頃に未信者のまま父親を亡くされていました。祈るだけでいいという教えの中、癒されるのを信じていたUさんは、誰の手助けもなく、イエス様を伝えることもなく、悲しみの中、イエス様から離れかけているような言動がありました。ある日祈っていると、マーサさんが誰かの傷にイエス様の手がふれている幻を見たようでした。帰宅したうるちゃんは、百万人の福音のとある記事を見た時に、マーサさんの友人Uさんを思い出し、イエス様についての手紙とへいわくんの父の死の時(昔からの流れのキリスト教信者だったが、癒されずに天に召された)の証しを添えてUさんに渡しました(手紙には、誰が天に行き地に行くかは、イエス様にしかわからないこと、信じる者に最善をなされることなどを書きました)。その数日後、A教会を去る時にA牧師に渡した手紙が、悪霊がついていると言って読まれることなく、悪霊を追い出したと言われた経験を思い出し、Uさんに手紙と証しを渡したことで恐れがやってきました。すると、恐れるうるちゃんに次のようなことばが心に響いてきたのです。「あなたの傷はもう癒されています。わたしが介抱したのです。完治しています。さも傷がまだ治っていないかのようにふるまうことが歩けなくしているのです。実際の怪我のように…。リハビリ中は多少痛みが伴いますが、霊のリハビリ中なのですから。“治っていない”というような惑わしに負けないように。癒し主を信じなさい。」その次の日、うるちゃんは、マーサさんの友人Uさんへの手紙に書いた思いは伝わったことを本人の感謝の電話から知ることができたのでした。
※ 下線部の父についての証し
※ 下線部の手紙にまつわる経験:「part 5-4 和解への試み」参照


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  【うるちゃんと教会】
  ★ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)



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